昔、京都に伊藤東涯という学者がありました。江戸の荻生徂徠と相対して、ともに評判が高うございました。
ある日、東涯の教えを受けている人が、徂徠の書いた文を持って来て、東涯に見せました。その場にほかの弟子が二人居合わせましたが、これを見てひどく悪口をいいました。東涯は静かに二人に向かって、「人はめいめい考えが違うものである。軽々しく悪口をいうものではない。ましてこの文は立派なもので、ほかの人はとてもおよばないであろう。」といって聞かせたので、弟子どもは深く恥じ入りました。
(四年生)

※伊藤東涯…寛文一〇(一六七〇)年~元文元(一七三 )年。儒学者、伊藤仁斎の長男で江戸時代中期の儒学者
※荻生徂徠…寛文六(一六六六)年~享保一三(一七二八)年。江戸時代中期の儒学者。五代将軍・徳川綱吉側近の柳沢吉保に仕えた
『国民の修身』監修 渡辺昇一