昔京都に伊藤東涯といふ學者がありました。江戸の荻生徂徠と相對するひやうばんが高うございました。或日、東涯の教を受けて居る人が、徂徠の書いた文を持つて来て、東涯に見せました。その場に外の弟子が二人居合はせましたが、之を見てひどくわる口をいひました。東涯はしづかに二人に向って
「人はめ い/\考がらがふものである。軽々しくわる口をいふものではない。ましてこの文はりつばなもので、外の人はどてもおよばないであらう。」といつてきかせたので、弟子どもは深くはぢ入りました。
『国民の修身』監修 渡辺昇一