紀伊の水夫・虎吉らは、蜜柑を船に積んで江戸に行き、その帰り途で、暴風にあいました。船は山のような大波に揺られて、遠くの方へ吹き流され、ニカ月ばかりも大洋の中を漂いました。その間に、食べ物も飲料水もなくなって、大そう難儀をしました。
ある日、ちょうど通りあわせたアメリカ合衆国の捕鯨船が虎吉らを見つけて救い上げ、パンなどを与えて、親切に労わりました。船長がどこの者かと訊いたが、言葉が通じないので、地図を出して見せて、やっと紀伊の人ということがわかりました。それから、この船は北の方へ鯨を捕りに行き、半年ばかり経って、帰りに船長は便船に頼んで虎吉らを香港まで送り届けました。そこには仕立屋をしている日本人があって親切に世話をし、フランスの船に頼んで上海まで送ってくれました。それから虎吉らは支那の役人の保護を受け、便船に乗って、やっと我が国に帰ることが出来ました。郷里では三年も便りがないから、死んだことと思っていたところへ、無事に帰ってきたので、夢かとばかり喜びました。
知っている人も知らな い人も博く愛するのが人間の道であります。いろいろ災難にあって困っている者を救うのはもちろん、たとえ敵でも、負傷し たり、病気になったりして苦しんでいる者を助けるのは、博愛の道です。明治三十七、八年戦役に上村艦隊が敵の軍艦リューリクを打ち沈めた時、敵のおぽれ死のうとする者を六百余人も救い上げたのは、名高い美談であります。
(五年生)
※明治三十七、八年戦役…日露戦争のこと
※上村艦隊…上村彦之丞提督指揮による艦隊。この話は「上村将軍」という歌にもなった
『国民の修身』監修 渡辺昇一