第五章・いのちの時代 連載第百二十七話 厨房のおばちゃん

特養でもそうだったが、この施設でも、食にはずいぶん力を入れていた。
管理栄養士がいて、その下に、日々の糧食をととのえる調理師がいた。行動を制限され、あるいは足腰の不自由な方にとって、ほとんど唯一の楽しみは、三度の食事の献立と、三時のおやつだった。だからこそ、そこに手を抜くことはできなかったのだと思う。
厨房の経営は、決して楽ではなかったはずだ。それでも、メリハリはきちんとつけられていた。月に一度か二度は、平均の食費をはるかに超える食材が用意された。たとえば、ウナギ。その日の食堂の空気が、いつもと少し違っていたのを覚えている。
その組み立ては、日々の栄養管理とともに、ずいぶん厳しく、精密な計算の上に成り立っていた。限られた予算のなかで、栄養と、楽しみと、その両方を、どうにか両立させる。それは、外から見ているほど、たやすいことではなかったのではないか。
その厨房を仕切っていたのが、一人のおばちゃんだった。どこにでもいるような、人の好い人だった。自分で近くの市場に足を運び、業務用のスーパーに通って、日々の食材を集めていた。台所を預かる、ふつうの主婦の延長のような顔をして、しかしその仕事は、施設の暮らしの土台を、静かに支えていた。
彼は、そのおばちゃんから、いくつかの料理を教わった。リンゴのコンポート。コーンポタージュのスープ。教わったとおりに、自分の家で作ってみたことを、今も覚えている。
もともと、食には関心があった。四柱推命でいえば、彼の命式には食神という星がある。あるいは、それが効いていたのかもしれない。断定はしない。ただ、この厨房で過ごした日々が、その関心に、さらに火をつけたことは、確かだった。
同じ流動食でも、その日その日の状態に応じて、微妙な調整がなされていた。「顔色」に応じて、とでも言えばいいだろうか。今日はこの方は少し元気がないから、これを、もう少しやわらかく。そういう手当てが、当たり前のようになされていた。理想的な食事だった、と思う。食べることが、そのまま生きることに直結する場所で、その細やかさは、そのまま、いのちへの手当てだった。
歳月を経た今、振り返って、思う。
食べることが、生きることそのものであるような場所で、彼は、食の奥深さを、あらためて教わったのではないか。
生かされて、今を、存在する。
あのおばちゃんが、市場の袋を提げて厨房に戻ってくる後ろ姿を、今も、自分は、確かに、覚えている。
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