「自分はいったい何歳まで生きることができるのだろうか」と、運命学を学んでいる方は、多かれ少なかれ、こうした究極のことを知りたいと考えているのではないだろうか。このことは当然のように四柱推命において大きなテーマとされ、ほとんどの古書に何がしかのことが言われている。しかし、そのほとんどが一面的な論議に終わっていたり、何も役に立たない内容であったり、根本的に誤っていたりしているのである。

次に「三命通會」の「論壽夭」中の一文を掲げ、寿命についてどのように言われているのかを見ることにする。

子平以印綬重逢者壽。八字停均者壽。

〈子平では、印綬が重ねてあったり、八字が調和しているのを長寿とする。〉

印綬とは日干と陰陽が異なる印のことである。日干が甲木であるなら癸水が印綬に当たるが、壬水であっても印としての作用には大きな違いはない。
右文で印と健康を結びつけていることは正しいのであるが、これのみでは実際の命を目の前にした時、何の役にも立たないのである。

「滴天髄」には、
五行和者。一世無災。

〈五行が和やかであるのは、一世災いはない。〉

と言われている。確かにその通りであろう。しかし、わかったような気になることはできても実際的な有用性はほとんどない一句である。
そもそも五行が和やかな命はないと言っても過言ではないし、「和やか」であるかどうかの判断はたやすいも のではない。
ほとんどの命運には大なり小なり五行の不調和があって、その不調和の原因である五行が、その人の食事、生活様式を悪い方向に導くことになり、身体的な問題を発生させることになるのである。漢方で「塩辛いものを多食するのは腎臓を病む」と言われているが、これは実は「腎臓が弱い人は塩辛いものを好む」ということなのである。食べ物の好みは、内臓の機能が反映しており、成長期の大連にもよるが、その人の弱い部位にとって好ましくない食べ物を好むことになるのである。
また、印が必要であるのに不足する、印が必要ないのに印が強くなるという状態になると、身体的負担が大きくなるような事象が発生する。例えば、残業が多く、休日返上で働かなければならず、多忙なため食生活の管理も疎かになり、食事の時間も不規則となったりする。ただ単に本人の不摂生が原因の生活の乱れであることもあるが、こうした状況が2年、3年、あるいは5年、10年と続くと、病気となる原因を作ってしまうことになるのである。
つまり、命と運の関わりにおいて、印を中心として見て、印の作用が不足したり、過剰となったりする時に病気の原因が積み重ねられることになる。大運は10年間続くので、大運によって印の調和が崩れると、病が重い形で発生することになり、流年は次々と巡り、変化していくので、流年が原因の、印の過多とか不及による病は軽くて済むことになる。
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より
https://meiwajuku.com/nsityu4/
http://www.shihei.com/shihei/calc/