人生哲学|第1回 現代人が失ったもの ――養老孟司先生に学ぶ「意味のない世界」の怖さ

現代人は一人当たり、当時の人の40倍のエネルギーを使っているとされている。ビルが林立し、無数の車が走り回り、室内の明かりが昼夜を問わず灯り続ける。これだけの熱を出せば、都市がヒートアイランドになるのも当然のことだろう。かつて冬場の鎌倉は東京より温かい土地だったが、今は完全に逆転している。
建物も道路も家具も、必ず設計者がいる。キノコのように自然に生えてきたものは何一つない。そしてその「設計された世界」の中に住み続けると、ある奇妙なことが起こる。
周りにあるものの意味が、すべて分かる。
一見これは便利に思える。しかし養老先生はここに「怖さ」を見る。意味のないものが存在しない世界——それは同時に、意味のないものを排除し続ける世界でもあるからだ。
ところが、都市文明の歴史はせいぜい数千年。人体はまだ「都市に住む」ように適応できていない。
その象徴が「椅子」だ。椅子が庶民に普及したのは19世紀のイギリス、ヴィクトリア朝時代のこと。それ以来、学校では生徒を椅子に座らせて授業をする形が当たり前になった。しかし人体の自然な姿勢は「立つ・しゃがむ・横になる」であり、椅子に座る姿勢はそこにない。現代人に腰痛が多いのは、偶然ではないのかもしれない。
しかし都市の室内に長くいると、そういった自然の変化が一切ない。養老先生は、環境省が推進する「森里川海」の繋がりを回復する運動に触れながら、こう語る。
現代の暮らしは「自然の流れ」と直角に交差している。新幹線が川を直角に渡るように、近代文明は自然の方向をことごとく横断してきた。だからこそ今、日常生活の中で自然との接点を意識的に取り戻すことが大切ではないか、と。
「生かされて今を存在する」という言葉を胸に、この問いをしばらく持ち歩いてみたいと思う。
YouTubeチャンネル「養老孟司の脳内」より(書き起こし・一部構成)
→ https://www.youtube.com/@養老先生の脳内
※本記事は講演動画の一部を文字起こしし、構成・補足を加えたものです。
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