支にも合と言われる関係があるが、支の合は干合以上に納得のいかないものである。
子と丑の合は土に属し、寅と亥の合は木に属し、卯と戌の合は火に属し、辰と酉の合は金に属し、巳と申の合は水に属すると定義され、なぜか残る午と未のみ、午は太陽であり、未は太陰(月)であることを理由に合とはされていないのである。四柱推命の聖典と言われる『滴天髄』には、さすがに支合については一切触れられていない。まったく無視されている。
中国を発祥の地とする運命学は、大きく分類すると干支系と星曜系になる。四柱推命は前者の干支系に属する。後者の星曜系とはいわゆる星占いである。『星平會海全書』の書名の「星」は星曜系を指し、「平」は子平、つまり、四柱推命を指している。上巻が星曜系で、下巻が干支系の子平という構成になっている書なのである。
その星曜系に属するものとして七政四余という運命を論じる方法があるが、「星平會海全書」上巻の七政四余のところを見ると、「午は太陽、未は太陰」と言われており、支合は天体の位置関係のことと言われている。つまり、支合は、いつの時代かは不明であるが、四柱推命の研究家が星曜系の七政四余から借用してきた考え方が、現代まで残ってしまったものではないかと推察できるのである。
ちなみに七政四余とは、太陽、太陰と、五星と言われる木星、火星、土星、金星、水星の七つの実在する天体と、氣星、李星、羅星、計星と いう四つの仮想の天体を設定し、それらの十二宮における位置により運命を論じる方法である。紫微斗数という占術の元となったものと言われている。
また、「五行大義」にも、
《支合は、日月行次の合するところである。》
とあり、太陽と月の宿る位置によって定義されている。だから支の合と陰陽五行論との関係を見出すことはまったく困難なのである。また実証性もないので、支合は採用すべきではないと断言できる。
なお紫微斗数とは、紫微星(北極星)に人の運命をつかさどる天帝がいるという信仰から始まった占術である。北極星を中心にしてすべての星が回っているのを見た古代中国人が神秘的なものを感じ、そのような信仰が生まれたのではないかと推測される。
しかし、星といえども永遠ではなく、1000年、2000年経過すると移動する。例えば、紀元前1000年頃には、現在とは異なる星が北極星の位置にあった。
それは天文計算によって知ることができるし、いまだに「帝星」と呼ばれている星が、北極星の近傍にあることからも証明できるのである。つまり、紫微斗数は占術として有意な時期があったかも知れないが、天体を根拠としているため、とっくの昔にその根拠を失っているのである。
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より
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