1年を12に分割する根拠は、英語のMonthの語源がMoonであることからもわかるように、1朔望(月の満ち欠けの1周期)の長さが29日余で、1太陽年のおよそ12分の1であることに由来する。人類最古の太陽暦であるエジプト暦も1年を12分割しており(志賀勝著「月の誘惑」はまの出版)、12という数値は、太陽だけではなく、月の周期も考慮した数字であることがうかがえる。
干支暦で1年を12に分割した根拠が月であるとしても、なぜ1日を12刻に分割したのか、疑問をもたれる方もいらっしゃることであろう。
このことは支が12通りあることと関係があることでもあろうが、どうも古代中国人が自然観察を積み重ねた結果たどり着いた結論と言える面もあるようである。というのは、ある種の晰錫(とかげ)は体色を1日に12回変えることから十二時虫と言われ、その象形文字が「易」という漢字になり、転じて変化するという意味を持つようになったと言われていることから推察されるのである。あるいはまた、年を12に分割し ているので、日も12に分割して相似させたほうが暦の構造に統一性が発生するので、そうすることが自然であり、理にかなっていると考えたのではないかとも考えられる。しかし、いずれにしてもその根拠は定かではない。
次は、巻末の「干支暦・太陽暦対照表」により、平成17年(2005)10月15日午後8時を干支で表記したものである(「干支暦・太陽暦対照表」の見方は後述する。)

干支暦2005101508.jpg

このように年月日時は、四つの干支、八つの文字で表記されることになるので、四柱推命においては、四柱、八字、あるいは四柱八字と言っている。
日本における四柱推命という呼称も、これがもとになっていると思われる。
明代の小説『金瓶梅(きんぺいばい)』(16世紀末頃成立)には、呉神仙という名の四柱推命に通じた人物が登場し、主人公西門慶の運勢を八字によって占うくだりが見られ、韓国でも「八字(パルチャ)」運命とか宿命という意味で使っていることから、漢字文化圏においては、かなり古くから、四柱推命は人の運命を論じる方法として広く知れわたっていたことがうかがえる。
また最後に干支暦の構成について、見逃しがちな重要な点を述べておくことにする。それは、干支暦においては、年月と日時の干支がそれぞれ独立した構成になっていることである。年干支が決まると月干支は一義的に定まり、日干支が決まると時の干支も一義的に定まるが、年月の干支と日時の干支は互いに無関係で、独立して巡っているのである。
このことは、

● 年月の干支は、地球の公転運動に起因する四季の変遷に対応している。
● 日時の干支は、地球の自転運動に起因する昼夜の変化に対応している。

として理解することができる。この干支暦の構成は、グロー バルな視点から四柱推命を考える際に重要な着眼点になり、また同時に後述する旺の逆転という見方にも関わることになるのである。

「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より