日と時の干支も、年千支、月干支と同様に黄帝即位の日をその始まりとして、六十干支を順に巡ってきている。六十干支であるから、日の干支は、60日周期で同じ干支が巡ってくることになる。時刻の干支も同様に六十干支が順に巡るが、現在使用している時刻とは少し構成が異なっている。1干支が占める時間は2時間で、この2時間を一刻と言う。1日は24時間だから、1日は12刻となる。この一刻が干支暦における時間の最小単位となる。
平安時代には、1日の始まりの時刻を寅刻頃(午前3時から午前5時)としていたこともあるそうであるが、その後も長い間、1日の始まりについて一般には統一した決まりはなかったようである。しかし、暦法上は、正子の刻、つまり午前0時と定められている(内田正男著『こよみと天文・今昔』)。
子の刻は午後11時から翌日の午前1時までで、日の替わり目が正子の刻とされているため、子の刻は前半と後半で2日にまたがることになり、「早い子の刻」と「遅い子の刻」の2回、子の刻が巡ってくることになる。1日の長さは12刻であるが、子の刻が二つに分かれるため、結果的に1日には13通りの干支が巡ることになる。
また、1日の長さは12刻なので、5日で六十干支を一巡することになり、5日ごとに同じ干支が巡ることになる。その規則性をもとに、次のように、日の千別の時刻干支表を作ることができる。見方は月干支表とほぼ同じである。

日と時の干支の巡り表.jpg

太陽暦、あるいは太陰太陽暦の日付は、長い歴史の過程で改暦が幾度か行なわれ、日付が飛んだり、科学的な根拠がない変更が行なわれているが、干支暦の干支は途切れることなく、少なくとも2000年ほどの間、順に巡り、現在に至っているのである。

「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より