◎ 「気軽に行こう!」―—ずぶ濡れの幸福 ◎
地球が誕生した時にはまだ地球も元気がよかった。若い地球はエネルギーがあり余っていたので、早い速度で回転、つまり自転をしていた。当時の一日は4時間と30分、実に夜は2時間少々しかなかったのである。寝る暇もない。
だんだん地球も歳をとって元気を失ってきた。そして地球が誕生してから46偉年たった現在の一日は24時間である。朝、ニワトリがときの声をあげ、おもむろに太陽は昇り地上を明る<照らし始める。現代の一日、昼の12時間の始まりである。
中央アジアの放牧民がヒッジを追って山間の牧草地に出かける。これもまた太古の昔から変わらない風景だ。ヒッジの一群と羊飼いが通った狭い道路からほのかに土の香りがする。すべてがゆっくりと過ぎていき、そしてやがて夕暮れが訪れる。
牧草地に向かったヒッジの一群が同じ道を帰ってくる。同じように砂埃をあげてあの狭い道を家路につく。まるで映画のフィルムを逆に回すように単調で静かな風景だ。
ヒッジの通る道ばたに一軒の家があり、窓の前には小さな椅子が置いてある。朝と違うところは、その椅子に爺さんが座って一杯やっているところだけだ。夕暮れの爽やかな風、ヒッジの群れが巻き起こす砂埃、そして夕日で真っ赤に染まった空。その夕日に照らされて爺さんの頬は赤い。
爺さんが「人生の幸せ」を感じるのは、このような夕暮れ時だった。今日もまた一日が過ぎ、あたりは暮れようとしている。
夕暮れは危険でもある。あれほど穏やかだった山の端に突然として雷嗚がとどろき、駿雨となる。あたりは一変して慌ただしく、誰もが急いで身を隠す。赤く染まった空と穏やかな夕暮れも自然なら、駿雨に逃げまどうのも自然である。自然は優しく、厳しい。自然は人を守り、人を襲う。だからこそ、そこに人生というものがある。
江戸時代には天気予報などというものはなかったので、夕焼けなら明日は晴れと決まっていた。だんだん、科学が発達してくると天気予報というものが出てきたが、コンピューターや流体力学計算も未発達で、天気図をみて気象庁のベテランが長年の勘で明日の天気を予想していた。だから当たるはずもない。
昭和の初めは、「天気予報」というと当たらない代名詞のようになっていて、「そりや、天気予報だろ!」といってみんなで笑ったものである。そう、ラジオで放送される天気予報を聞くぐらいなら、下駄を放り投げて鼻緒が表になったら晴れ、裏になったら雨という占いの方がずっと頼りになった。
いまではアメダスや気圧をきめ細かく測定し、その膨大なデータをもとにコンピューター・シミュレーションで予測する。「雨の確率」もすっかり定着して朝の天気予報を聞かなければ外出もままならないようになってきた。
それでも、私は天気予報を見ない。
突然やってくる夕立、慌てふためいて見ず知らずの店の前に駆け込み、しばしの雨宿りをする。あの皮肉なイギリスの作家、バーナード・ショーの戯曲に『ピグマリオン』というのがある。最近では『マイフェアレディー・イライザ』という洒落た名前に変わっているが、雨宿りに逃げ込んだ数人の人たちが活き活きと描写されていて、いかにもショーらしく鋭い。
『武田邦彦の科学的人生論』飯塚書店刊より R080914

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おてんとうさまの下で
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