第五章・いのちの時代 連載第百四十八話 萬象院釋先覚

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第五章・いのちの時代 連載第百四十八話 萬象院釋先覚

第 五 章 ・ い の ち の 時 代
連載第百四十八話「萬象院釋先覚」
筒田先生を送るまでのことを、ここまで書いてきた。だが、二人の師のうち、もう一人については、まだ何も書いていない。
時を、十一年ほど戻さなければならない。
平成二十年一月四日。牧正人史先生が、逝去された。
その日、彼は当時勤めていた会社の現場にいた。入社して最初の正月であり、新年の開所式の最中であった。一年の初めに人が集まり、これからの一年を無事にと祈る、あの席である。
そこへ、電話が入った。
臨終には、立ち会えなかった。葬儀にも、出られなかった。九州は遠く、彼は現場にいて、勤め始めたばかりであった。理由を並べることはできる。並べたところで、間に合わなかったという事実は動かない。
牧先生のお姿を実際の眼で見た最後は、平成九年、東京へ戻る日であった。
家族を含めて六名で、九州をあとにした。牧先生は、正装で、帽子をかぶって、彼らを送り出してくださった。見送りに正装で立たれるという、その一事に、あの方の人となりのすべてがあったように思う。
それから逝去まで、十一年である。連絡は定期的に取っていた。声は聞いていた。だが、姿は見ていない。十一年というのは、そういう長さである。声だけで足りると思っているうちに、過ぎてしまう。
訃報を受けたとき、悲しみとは別に、一つの疑問が浮かんだ。
先生は、ご自身の命運の尽きることを、しっかりと把握しておられたのだろうか。
不遜な問いであることは承知している。だが彼は、姓名から人の運を読み解く学問を、この方から授かった身である。その学問をもってすれば、ご自身の終わりも見えたのではないか。見えていて、なお何も言われなかったのか。それとも、そういうものは見えないのか。
答えは、ない。先生に聞くことはもうできない。
ただ、そのとき彼のなかに、一つの確信が生まれた。
一心に思い、学び、頼ってきた姓名科学も、万能ではない。
これは、あの学問を軽んじる言葉ではない。むしろ逆である。頼りすぎるな、ということなのだと思う。人の一生に働くものは一つではなく、読み解けるものと読み解けないものがある。その境目をわきまえない者が扱えば、学問は易々と迷信に落ちる。万能でないと知ることは、正しく扱うために要る認識であった。
師を喪って、はじめてそれが腹に落ちたというのは、皮肉なことである。
後日、彼は墓参りに伺った。その年であったか、翌年であったか、そこははっきりと覚えていない。牧先生の奥様と、ご一緒に出向いた。
戒名は、萬象院釋先覚、というものであった。
歳月を経た今、振り返って、思う。
生かされて、今を、存在する。臨終にも葬儀にも間に合わなかった弟子が、遅れて墓前に立つ。奥様に連れられて、ようやくである。会えなかった者にできることは、後から足を運ぶことしかない。
正装で、帽子をかぶって、東京へ発つ自分たちを見送ってくださったあの日の先生のお姿を、今も、自分は、確かに、覚えている。

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