私たちの生活で使うもので、本当の目的のために使われる割合はとても少ない、ということを示すために、もう一つ別の例を示します。
自動車というのはよくできた機械で実用的にもとても便利ですし、また乗り物としての楽しみもあります。しかしエネルギーや物質の使い方としては感心したものではありません。鉄やプラスチック、ガラスなどの使用量がかなり贅沢であることは見ればわかりますが、自動車全体として見て、「人間の移動に使ったエネルギー」としての使用効率はわずかに二%にしか過ぎないともされています(Claude Fussler and Peter James)。
自動車好きの人には気にいらない数字かもしれませんが、現実にはこの程度です。「だから自動車は悪い」とは考えてはいけないと思います。
自動車は明らかに人の生活を豊かにし、楽しみを与え、孤独を癒し、あるいは雪の降る日に病人を寒い思いをさせないで運ぶことができるからです。
ここでいいたいことは、人間は自分の利用しているものの背後霊は見ることが難しいということです。自動車に乗って移動するときに、自分が移動するために消費されるエネルギーは、使われるガソリンのわずか二%しか利用されていないとはとても思えないのです。
この計算も、原油からガソリンを作るときの背後霊は計算していません。それを計算するとさらに効率は悪くなります。
このような背後霊の傾向は、特に製品の加工度が上がってくると「もの」の比率が下がり、「背後霊」が大きくなる特徴があります。
たとえば「カメラ」を例に挙げますと、新しいカメラを研究開発するときに使った研究費や特許の費用、それに携わった人、新しい製品を作る工場を設計した人、建設と試運転、そしてテスト生産の製品で市場開発をした営業マン、いよいよ生産となっても直接製造する人の他に管理、経営、宣伝など膨大な努力が必要です。
目の前にある「 カメラ」は確かに一つのものですが、そのうらの背後霊はすでに過去に失われています。
これがマスコミとなるともっと極端です。五分のテレビ番組を作るのに一時間以上も録画することは普通で、そのために膨大なフィルム、人手や交通費を使い、その五分に凝集します。雑誌の記事でもそうです。記者が記事をとりに走り、速記者が膨大な速記をとり、何回も書き直してやっと一つの記事ができます。何ページかの記事のうらには多くの背後霊がついています。
背後霊は人間にとって見えにくいので、昔の人はそれを「ことわざ」や「しきたり」として覚える方法を採っていました。
生活の知恵の類です。たとえば、「ご飯を残してはダメですよ! お百姓さんに申し訳ないでしょ!」と教わったものです。今では「お百姓さん」という言葉自体が差別語で使えませんが、昔そういったのは確かです。
この言葉の中には、「あなたはご飯粒を見てご飯粒にしか見えないでしょうけれども、ご飯粒にはお百姓さんの必死の努力が背後霊としてついているのですよ。もしそれを無駄にしたら食料を一所懸命作っている日本全体がダメージを受けることなのです。だから背後霊を見てご飯粒を残してはいけません!」
という意味が込められているのです。
現代はしきたりやことわざで理解することなく、すべてを自分の頭脳で合理的に理解し、判断する時代です。それはそれでよいことですが、このように昔の知恵がどういうことを意味しているかは参考になります。
さらに現代の工業製品や精密な製品は付加価値が高く、それだけに原料に使うものより補助的に使う物質やエネルギー、労働力の比率が高いのが普通です。一つの製品を完成するのに使う膨大な研究費もまた環境の負荷になっているのです。
私たちは単に自分たちの目で見えるものだけに注目することなく、その背後に潜むものを見抜く力を養いたいものです。
特に環境を大切にする活動をされている人は、作った人たちの苦労を疸接感じる心が期待されます。
背後霊が見えないもう一つの原因は、現代社会が「自己中心的」あるいは「現実喪失的」になっているからともいえます。
それと関連した例として「リターナブル・ビン」について示します。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より
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