リサイクルの議論は金属材料やプラスチックに集中していて、ガラスや陶器、コンクリートなどは産業廃棄物の議論では盛んです。一般的にはそれほどではありません。その中で、ペットボトルやアルミ缶の飲料との関係で「リターナブル・ビン」が取り上げられています。ものを使い捨てにしない文化はもともとあったので、たとえば江戸時代に油を買いに行くには油を入れる容器を持参したし、最近までビールや牛乳瓶はガラス瓶が使われていました。
ガラス瓶は丈夫だし、殺菌や洗浄が容易なので繰り返し使えます。それを現代風にいい換えたのが「リターナブル・ビン」。ビール瓶はアルミ缶ではなく瓶にして酒屋に返せばよい、牛乳も紙パックをやめて牛乳瓶を復活させた方がよい、ということです。確かに環境という点では現在のアルミ缶や紙パックより優れている可能性があります。
「可能性がある」といったのはアルミ缶をビール瓶に替えて飲み終わったら酒屋に持って行き、それをメーカーに返して洗浄し、再びビールを詰めて販売するシステムと、ビールはアルミ缶にして使い捨てにする方式とどちらが環境の負荷が少ないかは即断できないということです。アルミ缶は技術的にかなり優れたもので、資源的にも十分で、しかもアルミニウムは「土」に似ているので人体への害もあまりありません。
それに対して、ビール瓶をリターナブルにすると酒屋さんは車を飛ばして取りに来ますし、メーカーヘ運ぶのにもある程度のガソリンや軽油を必要とします。洗浄や乾燥にもエネルギーを使いますから、人件費も計算に入れたLCAがどちらが環境に良いという結果を出すか興味のあるところです。
牛乳瓶も同じです。確かに牛乳パックを使うよりも牛乳瓶にして、昔のように朝、牛乳屋さんが戸別配達をして、飲み終わったらまたそれを運ぶ方が環境に良いように思います。ある程度年輩の人は必ずそう思うでしょう。しかし、現代社会で重たい牛乳瓶を朝早く誰が運ぶのでしょうか?
そしてマンションや高層住宅が多く、「牛乳瓶を入れる箱」が置きにくい構造の中でシステムとして成立するでしょうか?
ビール瓶でもそうですが、リターナプル・ビンが使われる社会は、酒屋には人件費が安い店員さんが、牛乳販売店には配達屋さんがいた時代です。現代では、またその役割は主婦が担うことになりそうです。重たいビール瓶や牛乳瓶を抱えて汗をかいている主婦の姿が目に浮かびます。そしてビールを飲むのは他の人だったり、牛乳は子供が欽むかもしれません。
リターナブル・ピンが現在でもある程度成立しているのは町の飲食店などで、毎日決まった量のビールを持ち込み、それを回収するのが成立の条件です。大量に一カ所にありますし、種類も多くはありませんので分離工学の原理に反することはありません。さらにビール瓶は使って悪くなる率も少ないので、材料工学の原理からもOKです。そして飲食店で飲むビールに汚いものを入れたり何に使ったか分からないこともないので、毒物の混入の可能性もグッと少なくなります。
一見して人間的であり、環境に優しいと感じられるリターナブルには自己中心的な要素が潜んでいることがわかると思います。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より
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