日本はユダヤ人保護を国策としていた

欧米ではユダヤ人問題を論じることはタブーではなく、問題とされるのは論じ方です。
ユダヤ人たちに杉原千畝氏はよく知られています。三国同盟も知られていますが、日本がナチスと同盟したとは受け取られてはいません。ただ、日本外務省は杉原千畝氏を訓令違反の簾(かど)で罷免したのではないかと誤解されています。誤解は正すべきです。一九三八(昭和十三)年十二月六日、日本は五相会議において八紘一宇の精神からユダヤ人を排除しないことを陸軍大臣(板垣征四郎)提案のもとで政府決定していました。だから杉原氏のあの行動が可能だったのです。そして、満洲においてユダヤ人を受け入れたのが、ハルピンの樋口季一郎陸軍少将であり、追認したのが、関東軍参謀長の東条英機です。FDK(FDRの誤植ではないか、ブログ作者注)は今ではタプーに近い存在です。アメリカの識者は真相を知り始めているのです。
ルーズベルトの先祖は、十七世紀にはオランダのアムステルダムにいたようです。その前はスペインにいました。分かれてローゼンベルグ、ローゼンカンポ、ルーゼンベルヒなどともなっていきますが、同族です。アメリカ移住の頃にエージェントとなっています。
なぜこんなことが分かるのか。複雑な「調査」は必要ないことで、それはアメリカ社会は大変な紳士録社会だからです。アメリカの「上流社会」はWASP(ワスプ、つまりホワイト・アングロサクソン・ピューリタン)と言われますが、ホワイト(白人)とは七代前に遡り有色の血が入っていないこととされています。エージェントかどうかは問われないようです。だからJ・F・ケネディ大統領はワスプではないのです。カトリックだからです。ルーズベルト大統領の民主党は、伝統的にユダヤ人を支持基盤にしています。ニューヨークタイムズなどの有力なメディアやハリウッドなどの映画界、そして財界はユダヤ人の世界です。そして、エージェントのユダヤ人たちはアメリカの指導的な階層を構成しています。日本人は不案内なのです。だから、例えばイスラエル政策に大きな過誤を犯すのです。日本外務省は杉原千畝氏を褒彰した上でリストラでクビにしましたが、大ミスです。イスラエル建国に際して氏を初代大使に任命していたら、日本の立場はどのくらい好転していたでしょうか。これは私が日本贔贋のユダヤ人から教えられたことです。樋口季一郎少将ハルピン機関長や東条英機関東軍参謀長のことを私が教えたら、彼は驚いていました。日本の国策はユダヤ人保護に決していたことをもっと大声で明言すべきです。
国際連盟でも国連でも、あたかもユダヤ人の機関かのような観を呈するのは理由があります。ユダヤ人たちが活躍するのは経済・社会理事会のような社会とか世界と名のつく機関です。例えば世界銀行とか国際労働機関といった調子です。
日露戦争の時に、日本の継戦を支えたのはジェイコブ・シフたちユダヤ人でした。ロシアのツアーリズム(帝制)はユダヤ人を過酷に迫害しました。当時、最も多数のユダヤ人が住む国がロシアで、このロシアと日本が開戦したのです。ユダヤ人たちが日本の戦時国債を買い支えてくれました。精一杯の年間予算・二億三千万円の日本が、十八億の戦費を得たのはユダヤ人社会の力添えによるものです。これは単なる義侠心の発露ではありません。日本がロシアを凌いだら、満洲経営がのしかかることを理解したユダヤ社会の生存の意志と情動が日本支援となったのです。
シフとは「船」(ドイツ語)です。ドイツ語圏では、多くのユダヤ人たちが普通名詞を名にさせられました(例・アインシュタイン・石ころ)。ユダヤ人たちの無念の歯ぎしりが聞こえてはこないでしょうか。
日露戦争に勝利した日本は、世界のユダヤ人社会をあっさりと袖にしたのです。これは恩知らずという最も非文明的な進退でした。
ハリマンは確かに鉄道王ですが、ロックフェラー財閥につながる銀行家でもありました。
小村寿太郎は、彼らのライバルのモルガン財閥と組んでしまったのです。桂・ハリマン協定は満洲の鉄道の共同経営を約束したものですが、モルガンの提案は車両や資材を買ってもらいたいというものでした。日本人の血で得た満洲権益を渡すわけにはいかないとの小村寿太郎の愛国の至情は、解析不足の情熱なのです。
明石元二郎大佐はヨーロッパで、反ロシアの工作に従事しました。彼の謀略は日本の勝利にとって、途方もない貢献となったのでした。しかし、明石の成功はユダヤ人たちの協力に大きく支えられたものでした。そして、ユダヤ人たちは満洲に接して「自治」区を結成し、満洲移住を熱望していました。そこへ桂・ハリマン協定の全面破棄が通告されたのです。
シフもハリマンも、そしてルーズベルト大統領もシオニスト(ユダヤ人の祖国復活を目指す者)ではなくワンワールド派です。シオンの地に建国するよりも、世界で団結して生存していこうとする派でした。このセオドア・ルーズベルトは後のフランクリン・ルーズベルトの「大伯父」にあたります。
一九〇三( 明治三十六)年にはセルビアで、過激派青年将校たちが国王夫妻・閣僚を殺害して権力を握っていました。そして、翌一九〇四(明治三十七)年二月には日露戦争を迎えたのです。
小村寿太郎のいろいろな伝記の類を読む度に、人格的に立派な人なのだと感じます。しかし、インテリゼンス(解析力)に関する限りは、彼は国が進むべき大道を誤ったと言うしかありません。彼には十年前の三国干渉の記憶は鮮明だった筈です。
日露戦争に列強の干渉がないと考えるのはおかしく、当然に強烈な干渉があると考えておくのが国家の理性というものです。日英同盟とアメリカの支援を得ていた日本に干渉するのは、独仏ではなく米英だと彼は考えなかったようです。痛恨の極みでした。
幕末の「赤蝦夷」認識以来、ロシアの脅威を凌いだという巨大な安堵感の中で、日本人は一種のユーフォリア(ほっとして陶然とすること)に陥り痴れてしまったのでしょうか。ハリマン提案という商談の形をしたアメリカの意志を、三国干渉の再来と解析しなかった日本の痴れが痛ましい。
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)

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