◎ 個人の預金が増えたのに、国が貧乏になる仕組み ◎
かつて、たとえば江戸時代だが、貨幣経済が発達していない頃、特殊な場合には本当の意味での「節約」は可能であった。たとえば、薪が足りないとき、少し寒いのを我慢して囲炉裏にくべるのを少なくするというようなケースである。それでも、もし自分の裏山が充分に大きければ、むしろ積極的に薪として使った方が裏山を守ることもある。
ただ、貨幣経済ではないので、「使わない分だけお金が余る」という事はない。使わない分だけ「物」が余るので、それはまた別の機会に使える場合があるということになる。
この話は主婦の方はピンと来ないかも知れない。主婦の方は普通、毎日、節約の連続で、少しでもムダ使いを少なくしようと努力されている。でも貨幣経済のもとでは、「ムダを少なくする」というのは「より多くのものを買う」ということを意味しているから、家庭としてはよいのだが、環境を良くするということにはつながらないのである。
「個人が節約すると、社会全体での消費が増える」という奇妙な現象は「合成の誤謬」という難しい言葉で説明できる。貨幣経済のもとでは、一人の人がやる目的が、全体としては逆の方向になることが多く、それは経済学ではよく見られることでもある。
では、なぜ政府や官僚、そして識者と呼ばれる人が「環境を良くするために節約に心がけましょう」と言うのだろうか?
まず考えられることは、国民が節約するとそのお金が政治家や官僚に入るからかもしれない。
つまり、かつて(たとえば、戦後や高度成長時代)は国民が節約したお金は銀行を通じて民間の企業に行き、そこで国民が欲しい製品を作ってくれた。つまり、普通は「節約すると、そのお金で企業が自分の欲しいものを作ってくれる」ということになる。銀行はその仲立ちをして社会に貢献していた。
簡単に言うと、ある人が100万円を預けると、企業が100万円を借りて、120万円で売れるものを作り、自分は10万円を稼ぎ、銀行に110万円を返し、銀行は5万円をとって、その人に105万円を返すという具合だ。これなら、預金した人は5万円、銀行も5万円、企業も10万円と全員が喜んだ時代であった。
ところが今から25年以上前にバブルが崩壊して、成長が止まった。経済成長の時代に100万円借りていた企業が(簡単に言うと)いなくなってしまったのだ。同時に「環境の時代」になり「もったいない、節約しよう」という人が現れた。かつて100万円を銀行に預けた人は節約して150万円預けるようになったのだが、借りる企業がいないので銀行にお金が留まるようになる。
企業は経済成長が止まるだけでも困るのに、「節約ブーム」で、100万円貯金していた人が150万円貯金し50万円を残すようになったので、それだけ売り上げが減って、お金を借りて増産するどころか、事業を売らなければならない事態になる。
この150万円が一年もたたずに引き出して使ってくれるとまだ何とかなったのだが、「年金不安」と「環境を悪くするから」ということで預金を下ろして消費することもしなくなったのだ。
そうすると、銀行にお金があふれたので、まず金利をほとんどゼロにしたのだが、それだと銀行が赤字になる。そこで銀行の首脳部が政府にかけあって「余ったお金で国債を買いますから、国債を出してください」と言う。最初のうちは政府も「赤字国債になるからダメ」などと言っていたのだが、企業が借りない分は政府が借りないとお金のつじつまが合わないので、赤字国債を発行し始める。
これでとりあえず日本のお金のつじつまは合うようになった。国が赤字国債を出して銀行がそれを買い、国は一年に5万円の利息を銀行に払う。もちろん、国の仕事は福祉にしても教育にしても(お金を配るだけのことで)赤字だから利息に払うお金も国債を売って何とかする。
つまり「国民が節約し、企業が借りなくなったので、国が国債を出して借りる」ということが25年間にわたって続いてきたのである。国に集まったお金は、
(1) お役人の給料や国の施設、
(2) 天下り先の給料(天下り先には国債のお金が行く)、
(3)箱物行政で施設ができる(八ッ場ダムのようなもの。半分がムダで、半分ぐらいは国民のためになる)、
(4)ムダな補助金を配る(たとえばバイオ燃料開発に6兆円を出し、すべて失敗して失う)
などとして消えていった。
『武田邦彦の科学的人生論』飯塚書店刊より R080929

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