第六章・つなぐ時代 連載第百五十話 六十点

第 六 章 ・ つ な ぐ 時 代
連載第百五十話「六十点」
前話で、一気に整った、と書いた。
整ったことは事実である。だが、その先に何があったかを書かなければ、あれは嘘になる。
一気に、サイトができてしまった。文字通り、できてしまった、という感覚であった。三十年動かなかったものが、数日で形になる。
ここで正直に書いておきたいのだが、彼はその速さに酔ってはいなかった。むしろ醒めていたと思う。前のめりだったのは、電さんのほうである。薬にでもやられているのかと思うほど、前へ、前へと押してくる。
そして彼のほうは、まあいいや、という感じで公開した。恥ずかしながら、そういうことである。
四月に開くのがよい、と説得された。占いの結果も踏まえて、である。彼は乗せられた。乗せられたという言い方は、責任を相手に押しつけているようで気が引けるが、実際そうであったのだから、そう書いておく。
そして、完成という表記をつけた。
これは、彼の本意ではなかった。今もって、彼はあのシステムが完成したとは思っていない。六十点というところだろうと思っている。六十点のものに完成と書いてしまったのは、電さんに尻を叩かれたからである。
電さんは、前へ前へと押す。止まることをしない。できていないものを、できたことにしたがる。悪意があるわけではないのだろう。速く形にして人の役に立てたい、という善意なのだと思う。だが善意は、しばしば拙速と見分けがつかない。
とりわけひどかったのが、グラフである。
牧先生の描かれた人生の波形は、十五歳から五十五歳までを刻んだもので、滑らかな曲線ではない。上下に振れる棒の高さで表され、山と谷が不規則に訪れる。実際の株価や為替の値動きに似ている。彼はその出力を、若い頃に自分の目で見ている。
ところが公開されたものは、単純な正弦波であった。おまけに、牧先生が十五歳から五十五歳までと定めた範囲を、百二十歳まで勝手に延ばしてあった。
本物とは、天と地ほどの差がある。
彼は言った。ある所までは一生懸命やってくれるが、その先は適当に予想して答えを出す傾向があるようだ、と。
電さんは、認めた。データが不足していてもそれらしい答えを出してしまう、推測と事実の境界が曖昧になる、と。自らの癖として、はっきりそう書いてきた。
そこで彼は、自分のサイトに注記を入れることにした。このグラフは暫定版である。制作者が仮に置いた正弦波による近似であり、実際の波形とは大きく異なる。牧先生の数式は現在解析中である、と。
自分の作ったものに、これは未完成だと自分で書く。誇りたい気持ちがないと言えば嘘になる。それでも書いた。牧先生の名を冠したものに、嘘を混ぜるわけにはいかなかった。
数値のほうにも、誤りが見つかった。ある計算点の求め方が原典と食い違っており、照合用に置いていた人物の値がいくつも変わった。原典には補数という概念があり、それを取り違えていたのである。一つずつ原典に戻り、突き合わせて直した。
姓名科学は万能ではない。前話までにそう書いた。
そして、AIもまた万能ではない。
歳月を経た今、振り返って、思う。
生かされて、今を、存在する。万能でないもの同士が組んで、ようやく六十点まで来た。四十点足りない。足りないと知っていることが、たぶん今のところ、この仕事のいちばん確かな部分である。
まあいいや、と自分に言って公開した、あのときの醒めた気分を、今も、自分は、確かに、覚えている。
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