第五章・いのちの時代 連載第百四十六話 焼け残った十箱

Uncategorized

第五章・いのちの時代 連載第百四十六話 焼け残った十箱

第 五 章 ・ い の ち の 時 代
連載第百四十六話「焼け残った十箱」
平成三十年四月十一日、十七時頃。筒田先生のご自宅から、火が出た。
日付をこれほど正確に書けるのは、罹災証明書が残っているからである。彼が定年を迎える、一年ほど前のことだった。
消防の調査では、旧い家屋の換気用の電動ファン、常時回していたもの、そのあたりが火元ではないかという見立てであった。断定ではない。見立てである。家屋は全焼した。けが人は、一人もいなかった。不幸中の幸いとは、こういうことを言うのだと思う。
調査に当たられた消防の方が、こう言われた。素晴らしい日本建築でした、と。壁は一切焼けていない。屋根がきれいに燃えて、煙突のような状態になった。だから周囲への類焼が防げたのです、と。
白壁が、その機能を十分に果たしたということである。火を内へ内へと立ちのぼらせ、隣家へは渡さなかった。先生のご自宅だけが、きっちりと焼けていた。あの家が最後に果たした仕事は、そういう仕事であったのかもしれない。
家を失ったあと、先生は、駐車場に焼け残ったソファや品物を置いて、何をするでもなく、そこに腰かけておられたという。人づてに聞いた話である。彼はその場に居合わせていない。
自分は、家が焼け落ちるという経験をしたことがない。だから想像するほかないのだが、もし自分の家が焼け落ちたなら、おそらく相当に落胆すると思う。長年連れ添ったもの、記憶の詰まった場所が失われるとき、人は自分自身の一部が失われたような錯覚を起こすのではないか。家族を喪うことと、どこかで地続きなのではないか。そう思うだけで、先生が何を思って座っておられたのかは、分からない。
消防の調査が終わったあと、彼は家屋の中へ入った。先生と縁の深かった方と、二人であった。残っているもののなかに、大切なものはないか。それを探すためである。
焼け残ったものが、あった。写真、日記、多磨塾通信、TSD研究所便り。のちに八ヶ岳の山荘を整頓した際に出てきた分と合わせて、ミカン箱でおよそ十箱になった。
写真のことを、書いておきたい。先生は紙焼きの写真を、随分と残された。多磨塾は日曜ごとに生徒を連れて、関東周辺の低山を登った。一年の日曜のうち、九割ほどを山行にあてられたとして、それが五十年である。稼働を半分に見積もっても、延べ千回は軽く超える。
その一回一回に、先生はカメラを持参された。フィルムで二本から三本。そう見積もれば、十万枚の写真があってもおかしくない。
だが、これは焼け残った束から遡って立てた推定にすぎない。実際に何枚あったのか、自分は知らない。火が奪った分は、数えようがないのである。
彼が定年を迎えて府中に戻ってきたとき、すでにご自宅はなく、その跡地に簡易型の事務所棟が建てられていた。炊事場と、しっかりしたトイレがあり、折り畳み式の簡易ベッドが置かれていた。昼のあいだ、先生はほとんどをそこでお過ごしになった。翌日に八ヶ岳での作業があって早めに府中を発つときなど、一日か二日、その事務所で寝泊まりされたこともある。だが夜は、たいてい至近の老人ホームであった。
あの三年ほどの日々を、彼はそこで過ごしたことになる。家のあった場所に建った、家ではない建物で。
十箱のうち、数パーセントはデジタル化して、写真を共有する場に上げた。残りは手つかずのまま、この府中の事務所と、一部は八ヶ岳山荘の倉庫に眠っている。
日記は、お嬢さんにお渡ししたはずである。はずである、としか書けない。ついこの間のことなのに、記憶が曖昧である。
火は、一日で十万枚を奪う。歳月は、それよりずっと静かに、確かめようのないやり方で、記憶を奪っていく。
思い出をデータに変えてよいのか。以前、彼はそう迷ったことがある。火を見たあとでは、その迷いも形を変えた。手つかずのまま眠らせておくことが、預かった者の誠実であるとは、もう思えない。かといって、片端から機械に読み込ませてしまえば、それでよいのかどうか。答えは、まだ出ていない。
歳月を経た今、振り返って、思う。
生かされて、今を、存在する。先生の家は焼けた。だが白壁は隣家を守り、灰の中から十箱が残った。残ったものを預かるということは、残らなかったものの分まで背負うということでもあるのだろう。
調査の終わった焼け跡に立った、あの日のこと。黒く炭になった柱と、その向こうに広がっていた青い空を、今も、自分は、確かに、覚えている。

【無料】牧正人史式 姓名科学 解析システム


#牧正人史 #マシレ予測 #至誠の覚醒 #姓名科学

コメント

ハウスワークサービス多摩店をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む

タイトルとURLをコピーしました