第五章・いのちの時代 連載第百十一話 風を切って

その特養は、不便な、場所に、あった。
こうした、施設は、たいてい、そうだ。自然に、囲まれた、交通の、便の悪い、土地に、建っている。ここも、個人の、小さな山の、頂上のような、場所に、あった。電車と、バスと、徒歩を、乗り継げば、三時間。とても、通える、距離では、なかった。
はじめは、車で、通った。けれど、通勤路の、川崎街道が、難物だった。東名の、川崎インター。第三京浜の、入口。交通量の、多い道で、一時間半、ときに、二時間。しかも——その日の、混み具合で、着く時刻が、読めない。命を、預かる、現場で、遅刻は、許されない。彼は、困り果てた。
そこで、彼は、初めて、バイクを、買った。
ネットの、中古で、見つけた、一台の、原付だった。五十六を、過ぎて、初めて、またがる、二輪。人生で、初めての、バイクだった。
これが——痛快だった。
渋滞する、車の、脇を、すいすいと、抜けていく。中央線の、上を、追い越していく。車が、列をなして、止まっている、その横を、彼は、風を、切って、走り抜けた。着く時刻が、はっきりと、読める。あの、読めなさの、苛立ちが、嘘のように、消えた。
問題は、雨と、雪だった。けれど、それも、なんとかなった。靴と、合羽の、組み合わせ。そして、施設の、地下には、巨大な、乾燥機が、あった。濡れても、着替えて、乾かせば、いい。降雪の、日は——むしろ、楽しんだ。滑る、路面を、慎重に、けれど、どこか、面白がって、彼は、雪の道を、通った。
不思議なものだ、と、彼は、思う。
介護の、仕事には、つらいことが、多かった。重いものを、抱える、現場だった。けれど、その行き帰りの、バイクが、彼の、ストレスを、吹き飛ばした。風を、切る、その爽快さが、現場の、疲れを、癒やした。彼は、思ったほどだ。学生時代から、バイクに、乗っていれば、よかった、と。
もちろん、危ない、目にも、遭った。重大な、事故に、つながりかねない、場面が、何度か、あった。けれど、彼は、いつも、かすり傷で、切り抜けた。大事には、ならなかった。——また、間一髪だった。健康が、百点の、名が、ここでも、彼を、守っていたのかもしれない。彼は、そう、思っている。
特養までは、片道、三十キロ弱。往復で、六十キロ。彼は、この道を、走り続けた。通勤に、使った、バイクは、事故で、壊れたものも、含めて、三台。乗り継いだ、その総距離は、バイクだけで、七万キロに、達した。地球を、一周半する、ほどの、距離を、彼は、介護の、行き帰りに、風を、切って、走ったのだ。
そして——この、原付の、経験が、後に、思わぬ、ところへ、つながっていく。
還暦を、迎えた、ころ。娘が、バイクに、乗りたい、と、言い出した。それが、きっかけで、彼は、大型自動二輪に、挑戦することに、なる。五十六で、初めて、原付に、乗った、男が、還暦で、大きな、バイクに、またがる。けれど、それは、まだ、先の、話だ。
四十年後の今、振り返って、思う。
いのちの、いちばん、重い、現場に、彼は、立っていた。見送りも、汚物も、夜勤の、緊張も。けれど、その、行き帰りに、風が、あった。センターラインの、上を、すり抜けていく、あの、軽やかさが、あった。だからこそ、彼は、あの、重い現場に、通い続けることが、できた。風が、彼を、支えていた。重さと、軽やかさ。その両方が、あって、人は、続けられるのだ。
生かされて、今を、存在する。
不便な山の上の特養へ、片道三十キロを、風を切って通った、あの原付の痛快さと、重い現場を支えてくれた、あの行き帰りの軽やかさを、四十年後の今、自分は、確かに、覚えている。
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