第四章・覚醒の時代 連載第七十七話 試せるものは、すべて

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第四章・覚醒の時代 連載第七十七話 試せるものは、すべて

第 四 章 ・ 覚 醒 の 時 代
第 七 十 七 話

試せるものは、すべて

― 時 間 の あ る 限 り 、 い ろ い ろ や っ て み た ―
紫根牡蛎湯と、丸山ワクチンだけが、若い夫が試した活路では、なかった。
夜明けの台所の煎じ薬の毎日、暗い外来での魔法瓶の受け渡し、立川病院での丸山ワクチンの皮下注射——それらが、毎日の輪郭の中心にあったことは、確かだった。けれども、若い夫の頭の中では、それと並行して、もうひとつ別の活路を、もうひとつ別の活路を、と、つねに、次の道が、立ち上がってきていた。書店通いのノートには、書き留められた治療法が、ひとつ、またひとつ、増えていった。試せるものは、すべて、試してみたい——それが、その時期の自分の、頭の中の、唯一の言葉だった。
時間のある限り、いろいろなものを、やってみた。
一つ一つの治療法に、深く立ち止まる余裕は、なかった。たぶん、丁寧に見れば、一つ一つの活路に、もっと長く、向き合う方が、深い結果が出たのかもしれない。けれども、若い夫には、その時間が、なかった。妻の体は、待ってくれなかった。とりあえず、できることを、できるだけ、並行して、進める。それが、その時期の自分の、毎日の作業だった。
◇ ◇ ◇
岡林達之先生のアヒムサ健康法という、もうひとつの道があった。
アヒムサ、というのは、サンスクリットの言葉で、不殺生、命を傷つけないこと、という意味だった、と思う。岡林先生が、長年のご研究の末に、確立された、食事と生活の体系。書店通いの中で、岡林先生のご著書に、行き当たった。野菜と、玄米と、命あるものを傷つけない食の在り方が、体全体の調和を、取り戻していく——というご趣旨だった。当時の自分は、その考え方に、何か、深いところで、響くものを、感じた。書店で、岡林先生のご著書を、何冊か、買い求めた。家でも、病室でも、できる範囲で、食事のあり方を、整えていこうとした。
アヒムサ健康法を、どこまで、実際の生活に、取り入れられたかは、もう、はっきりとは思い出せない。
病院の食事は、こちらでは、決められない。家での食事は、健慈の小さな体のことも、考えなければならない。完璧に、岡林先生のご指導どおりに、ということは、現実には、難しかった。けれども、できる範囲で、食材を選び、調理の仕方を、変えていった。書物のご指導を、生活の中で、ひとつずつ、形にしようとした。それも、若い夫の、ひとつの活路の探索だった。
◇ ◇ ◇
ホッカイロを、患部に当てる、ということも、試した。
当時、ホッカイロが、世間に出始めたばかりの頃だった。手のひらほどの小さな袋を、軽く揉むと、化学反応で、温かくなる——その新しい商品が、出始めていた。書物のどこかで、温熱が、がん細胞に対して、何らかの作用を、もたらすのではないか、という記述を、自分は、目にしていた。確証は、なかった。けれども、試してみる価値は、あるかもしれない、と、若い夫は、思った。ホッカイロを、いくつか買って、妻の体の患部に、そっと、当てる。温かさが、しばらく続く。それだけのことだった。けれども、その「それだけのこと」さえも、若い夫には、ひとつの活路に、思えていた。
ホッカイロが、本当に、がん細胞に、何らかの作用を、もたらしたか——それは、分からない。
医学的な根拠は、たぶん、薄かっただろう。けれども、温かさそのものが、妻の体に、何かを、与えていたのは、確かだった。冷たくない、ということ。その時の体に、温かい何かが、添えられている、ということ。それだけでも、何か、若い夫婦の中で、支えになるものが、あったように、自分は、半世紀近く経った今、思っている。
◇ ◇ ◇
そして、OH-1のことが、あった。
OH-1というのは、当時、ある先生がご研究中だった、がんに対する免疫療法の薬の、仮の名前だった。臨床試験の段階にあった。日本では、岡山大学医学部で、そのご研究が、進められていた。書店通いの中で、OH-1のことを知った若い夫は、何としても、その薬を、妻に試したい、と思った。書物の中で、OH-1の可能性を伝える記事を、自分は、何度も、読み返していた。免疫の力で、がん細胞を、抑え込む——その新しい考え方が、若い夫には、ひとつの大きな希望のように、見えていた。
岡山大学のご研究をなさっている先生に、若い夫は、ご連絡を取った。
どんな経緯で、その先生に、辿り着いたのか、もう、はっきりとは、思い出せない。書物の中の脚注、論文の著者、雑誌の記事——いくつもの手がかりが、自分の中で、ひとつに繋がって、その先生のお名前に、行き着いた。手紙を書いたのか、お電話を差し上げたのか。とにかく、ご連絡を、お取りした。ご了解を、いただくことができた。妻を、入院させることが、できれば、OH-1を、試してもよい、というご返事を、頂戴した。
若い夫は、岡山行きの段取りを、組み始めた。
妻の体は、もはや、自分で動くことが、できる状態ではなかった。岡山までの行程は、相応の手段が、必要だった。岡山大学医学部の先生に、相談すると、なんと、岡山空港から大学病院までの間、救急車を、お回しいただける、というご手配まで、整えてくださることになった。空港まで、妻を、連れていければよい。空港から大学病院までは、救急車が、迎えに来ていただける。紹介状も、書いていただいた。あとは、空港まで、妻を岡山まで連れていくことだけが、課題だった。
◇ ◇ ◇
けれども、その段取りが、整い切る前に、妻の容体は、搬送に耐えられないほどに、悪化していった。
妻の体は、もはや、長距離の移動に、堪えられる状態では、なくなっていた。羽田空港まで、東京の家から羽田。そこから飛行機で、岡山空港まで。さらに救急車で、岡山大学医学部まで——その一連の旅程が、その時の妻の体には、もはや、重すぎた。若い夫は、ぎりぎりまで、空港行きを、模索した。けれども、もはや、不可能だ、ということを、認めざるを、得なくなった。OH-1の、希望の道は、扉が開きかけたまま、閉じることになった。
岡山大学の先生に、お礼と、お詫びの、ご連絡を差し上げた。
先生は、深く、お察しくださった。「またご縁があれば」というような、温かなお言葉を、頂戴したように、記憶している。紹介状は、若い夫の手元に、残った。救急車のお手配も、扉が開きかけたまま、ご厚意のままに、閉じられた。若い夫は、その紹介状を、ひと月か、数ヶ月か、ご自分の引き出しの中に、しまっておいた、と思う。いつ、それを、処分されたかは、もう、覚えていない。けれども、その紙が、その時の若い夫の、ひとつの活路の、扉だった、ということを、自分は、今でも、骨で、覚えている。
◇ ◇ ◇
東京駅で、不思議な予言者に、出会ったこともあった。
どうやって、その方に出会ったのか、今は、もう、まったく、思い出せない。書物の脚注だったか、誰かのご紹介だったか、新聞の小さな記事だったか——その経緯は、半世紀近く経った今、霧の向こうに、すっかり、霞んでしまっている。けれども、東京駅の構内のどこかで、ある日、自分は、その不思議な方と、向かい合っていた。その方が、妻のことについて、何をおっしゃったかも、もう、よくは、思い出せない。占いのようなお言葉だったか、ご祈祷のようなものだったか、あるいは、もっと別の種類のお話だったか。
ただ、自分が、そういう方のところまで、足を運んでいた、ということは、覚えている。
医学の書物だけでは、足りなかった。漢方だけでも、丸山ワクチンだけでも、ホッカイロだけでも、アヒムサ健康法だけでも、OH-1だけでも、足りなかった。書物の世界の外にも、何か、活路があるのではないか——その淡い期待が、若い夫を、東京駅まで、運んでいた。藁にも縋る、というのは、こういうことを、言うのだろう。藁の一本一本が、若い夫には、希望の縄に、見えていた。試せるものは、すべて、試してみたい——その思いが、自分を、いくつもの場所まで、運んでくれた。
◇ ◇ ◇
こうして、列挙してみると、若い夫の試した活路の数は、自分でも、驚くほど多い。
紫根牡蛎湯。丸山ワクチン。ホッカイロの温熱。岡林達之先生のアヒムサ健康法。岡山大学のOH-1。東京駅の不思議な予言者。そして、もうひとつ、最も深い活路として、これから書くことになる、ご家族の名前を丸ごと組み直す、という方法。それぞれの活路は、一つずつでも、若い夫の人生を、何ヶ月か、占めるほどの重さを、持っていた。それらを、若い夫は、同時に、並行して、進めていた。同時に進めることが、できたのは、たぶん、選んでいる時間が、若い夫には、なかったからだ。あるものは、すべて、いっぺんに、試すしかなかった。
それらの一つ一つが、効いたかどうか、ということは、もう、問わない。
どれかが効いていれば、妻は、生きておられたのだろう、という議論にも、深入りはしない。半世紀近く経った今、若い夫の中に残っているのは、効いたか効かなかったか、という結果の側のことではない。若い夫が、毎日、活路を求めて、いくつもの扉を、叩き続けていた——その姿勢の側のことだけが、残っている。それぞれの扉は、若い夫が、扉を叩いた瞬間に、若い夫の人生の中に、ひとつの位置を、定めた。扉の向こうに、何があったかは、もう、問わない。扉を叩いた、という事実だけが、その時の若い夫の、活路を求めた毎日の、すべてだった。
◇ ◇ ◇
けれども、これだけの活路を、いくつも、同時に進めても、ひとつだけ、扉の開かなかった活路があった。
それが、妻の命の、ほんとうの活路だった。妻の体の中で、急速に進行していたものは、紫根牡蛎湯でも、丸山ワクチンでも、ホッカイロでも、アヒムサ健康法でも、OH-1でも、東京駅の予言者でも、止められなかった。若い夫は、書物の中の、目に見えるあらゆる扉を、叩いた。けれども、目に見える扉の、すべての向こうにある、もっと深い場所には、若い夫の手は、まだ、届いていなかった。
その、もっと深い場所への扉が、ある日、若い夫の前に、立ち上がってくることになる。
それは、書物の中の治療法でも、医学の中の薬でも、祈祷でもなかった。それは、若い夫が、生まれてから今までずっと、自分のものだと思っていた、自分の名前そのものを、丸ごと、組み直す、という決断だった。妻の名前も、健慈の名前も、自分の名前も、家族全員の名前を、すべて、新しく、組み直す——そんな突拍子もないことを、若い夫が、本気で、考え始める日が、近づいていた。けれども、その話は、また、別の話になる。
(つづく) R080524

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