第三章・世界の時代 連載第六十四話 出会い
出会い
ある日、船積み班のフロアに、見慣れない女性が、出荷の手配を運んできた。
大きな白いマスクをしていた。当時、インフルエンザか何かが流行っていた時期だった。フロアの中で、マスクをしている人は、彼女の他にも何人かいた。ただ、彼女のマスクは、特別に大きく見えた。本人の顔を半分以上覆ってしまうほどの、白い四角形だった。マスクの上から覗く頬が、普通の人より青白かった。本人も風邪をひいていたのだろう、目もとが、わずかに潤んで見えた。
「顔の白い人だな」——自分の中で、最初の印象が、そう刻まれた。
彼女は、出荷の書類を船積み班の机に渡し、二言三言、何かを確認して、すぐにフロアの外へ出ていった。立ち姿に、無駄がなかった。歩き方に、迷いがなかった。仕事を運んできて、用件を済ませて、自分の机に戻る——その動線が、迷いなく真っ直ぐだった。風邪をひいていても、仕事の動きは、しっかりしている人だった。
その時の自分は、彼女が誰なのか、知らなかった。
船積み班に出入りする、別の島の女性、というだけの認識だった。フロアの片隅の風景の一部として、自分の目の中を、ただ通り過ぎていった一人だった。それが、何の運命の前触れなのかも、当時の自分は、知るはずもなかった。後年、振り返って、初めて分かることが、人生にはいくつもある。あの白いマスクの瞬間も、その一つだった。
後で知ったところによると、彼女は極東部の所属だった。
高卒で入社した、若い営業部員だった。担当していたのは、バヌアツ、キリバス——南太平洋の、小さな島国の販売店だった。中近東部のサウジ向けが年間十数万台を扱う巨大市場だったのに対して、極東部の南太平洋の離島は、年間数十台、数百台という規模の市場だった。それでも、それぞれの島の販売店との折衝は、毎月、毎週、地味に積み重ねていく仕事だった。
極東部は、E03のフロアの、自分たちの中近東部の島の、少し離れた場所にあった。
同じ輸出部門の中で、似たような構造の班だった。少人数で、遠い小国の販売店を抱え、語学の堪能な女性社員と、長年の経験を持つまとめ役と、若い営業の机が、いくつか並んでいる。その島の動線の中を、彼女が、出荷の書類を持って、船積み班の方角に通ってくる——その姿を、自分は、いつしか、フロアの風景の一部として認識するようになっていた。
名前は、まだ知らなかった。
「あの極東部の、少し顔の白い人」——自分の中での呼び方は、そんな漠然としたものだった。三輪さんへの届かなかった想いが、まだ自分の中の隅に残っていた頃である。新しい誰かを、はっきり意識する余裕は、自分にはまだなかった。彼女は、フロアの風景の中の、一つの淡い輪郭として、自分の視界の隅にときどき映るだけの存在だった。
ある時期、極東部と中近東部とで、合コンのような飲み会が組まれた。
誰が言い出したのかは、もう記憶が曖昧である。同じ輸出部門の隣り合った班同士で、互いの机の事情を共有しながら、たまには酒の席で交流しようか——そんな自然な発意だったのだと思う。フロアの近くの、よくある居酒屋に、両班の若手が集まった。自分も、その席に呼ばれた一人だった。
その席に、彼女もいた。
マスクをしていない彼女の顔を、自分は、その時に初めてはっきりと見た。あの大きな白いマスクの下の顔は、思っていたよりも、ずっと柔らかい印象を持っていた。話す時の声は、落ち着いて、低めだった。笑う時の表情に、無理がなかった。仕事のフロアで見かけていた時の真っ直ぐな立ち姿が、酒の席では、もう少しほどけた線になっていた。
極東部の責任者の方が、やがて、飲みすぎて、酔いつぶれた。
後で、彼女から間接的に聞いた話によれば、その責任者の方は、彼女に好意を寄せていたらしい。当時の自分は、その事情には気づいていなかった。ただ、酔いつぶれた人を、誰かが家まで送り届けなければならない、というのが、その夜の流れの中での自然な要請だった。たまたま、自分と彼女が、その役を引き受けることになった。
これも、運命のようなものだったのだろう、と今では思う。
酔いつぶれた責任者を、二人で、家まで送り届けた。
タクシーの後部座席に責任者を寝かせ、自分が運転手の方と話を進め、彼女が責任者の頭を支えていた。家に着くと、玄関先で家族の方が迎えてくださり、責任者を家の中に運び込んでくださった。家族の方に礼を述べて、自分と彼女は、その家を後にした。夜の住宅街を、二人で、駅の方角に向かって歩き始めた。
その帰り道のことを、自分は、よく覚えている。
何の話をしたのか、細部は、もう記憶の彼方にある。仕事の話だったのか、出身地の話だったのか、好きな食べ物の話だったのか——具体的な題材は、思い出せない。ただ、いろいろな話をした、ということだけが、輪郭として残っている。彼女の話す声は、低くて落ち着いていて、自分の言葉を、丁寧に受け止めてくれた。自分の話す言葉が、彼女の前では、なぜか、固まらなかった。
これは、自分にとって、初めての経験だった。
女性の前に立つと、いつも体の自由が利かなくなる——あの自分の中の硬さが、彼女の前では、不思議と立ち上がってこなかった。村山のショムコちゃんの前で詰まった言葉、本社のフロアで三輪さんに伝えられなかった想い、生産班の女性へのお礼さえ言えなかった沈黙——あれらの硬さの源が、彼女と歩いている夜の住宅街の中では、すうっと薄らいでいた。なぜ、と問われても、当時の自分には、答えられなかった。
初めて、運命の人に出会ったのかもしれない——という予感が、ふっと、自分の中に芽生えた。
大袈裟な啓示ではなかった。雷に打たれるような瞬間でもなかった。ただ、夜の住宅街を歩きながら、彼女の隣で、自分の言葉が自然に続いている——その当たり前のような事実の中に、これまでの自分にはなかった、ある種の安らぎがあった。それが、自分にとっての、運命の予感だった。
翌週から、自分の机の上で、何かが少しずつ変わっていった。
朝、フロアに入ると、極東部の島の方角に、無意識のうちに目が向くようになっていた。彼女が、自分の机に座っているか、確認するようになっていた。彼女が出張で席を空けている朝は、フロアの空気が、少し色を失って見えた——あの感覚が、また自分の中に戻ってきていた。ただ、今度の感覚は、三輪さんの時とは、性質が違っていた。ただ眺めていた者の場所から、一歩、別の場所に動こうとする力が、自分の中に芽生えていた。
タイムカードに、クリップでメモをつけた。
「今日の昼、近くの店で食事をしませんか」——そんな、簡単な内容のメモだった。彼女の打刻するタイムカードの裏に、クリップで挟んでおく。彼女が朝、タイムカードを取り上げる時に、自然に目に入る場所に。返事も、同じ方法で来た。クリップでつけた紙の裏に、彼女の細い字で、「はい」と短く書いてあった。あれが、二人の間の、最初の私的なやり取りだった。
近くの店で、二人で昼ご飯を食べた。
何を食べたのか、これも記憶の彼方にある。ただ、その時間が、自分にとっては、フロアの仕事の時間とはまったく違う色をしていた。彼女の前で、自分の口が動く。動いた言葉に、彼女が応える。応えてくれた言葉に、また自分が応える——その当たり前の往復が、自分にとっては、奇跡のように感じられた時期だった。三十年近く生きてきて、女性とこういう自然な往復ができたのは、初めてだった。
休日には、チェリーX1で、二人で山に登った。
あの川崎の夜のチェリーX1が、今度は、二人の山行の足になっていた。助手席に彼女を乗せて、奥多摩や、丹沢や、関東近郊の山々を回った。ハンドルを握る自分の隣で、彼女は、窓の外の景色を眺めながら、ぽつりぽつりと話をしてくれた。山の稜線を歩く時、彼女の足取りは、軽やかだった。風邪気味でフロアにマスク姿で現れたあの最初の印象とは、まったく違う、健やかな歩み方だった。
人生で大切にしてきた人たちのところに、彼女を連れていった。
大学でお世話になった田中喜助先生の元に、二人で挨拶に行った。先生は、彼女を見て、穏やかに笑ってくださった。多磨塾の筒田芳博先生のところにも、二人で伺った。筒田先生は、自分の浪人時代を底から立て直してくださった、人生最初の転機の師である。先生が、彼女に向ける視線の温度を、自分は隣で感じていた。先生は、「いい人と出会えてよかったね」とは、はっきりおっしゃらなかった。ただ、何かを認めてくださっている空気が、その日の客間に流れていた。
師たちに、彼女を見せる——あの動作は、当時の自分の中で、何かを確かめる行為だった。
自分の人生の中で、深く影響を受けてきた人たちの前に、彼女を連れていって、立たせる。それは、彼女を品定めしていただくためではなかった。むしろ、自分自身の中で、何かを定めるための動作だった。師たちの前で、彼女と並んで立ってみて、自分の中で違和感が起こらないか——それを、確かめていたのだと思う。違和感は、起こらなかった。自分の人生の流れの中に、彼女が、自然に位置を占めて立っていた。
後から、彼女から聞いたことがあった。
高校時代から続く、ある人との関係が、彼女にはあったのだという。自分が彼女と歩き始めた時には、その関係が、まだ完全には終わっていなかったらしい。自分は、そのことを、当時はまったく知らなかった。知らないまま、自分は、彼女の生活の中に、強く入り込んでいったことになる。半世紀近く経って、振り返ってみると、自分は彼女を、ある種、強引に奪い取るような形になっていたのかもしれない、と思う。
自覚は、なかった。
当時の自分には、そういう自覚は、まったくなかった。ただ、生まれて初めて、女性の前で言葉が固まらない相手だった。その安らぎを、手放したくなかった。それだけだった。彼女の側にも、たぶん、何かの判断があったのだと思う。彼女が、自分との時間を選んでくれた——その選択が、何を意味していたのか、当時の自分には、深く問う余裕がなかった。
運命というものを、二人とも、何かの形で感じていたのだろう、と今は思う。
そうでなければ、出会いから一年もしないうちに、結婚を決めるところまで進むはずがない。互いに、自分の人生のここから先を、この人と歩く——そういう確信が、二人の中に、それぞれの理由で立ち上がっていた。理屈ではなかった。説明のつくことでもなかった。ただ、そうなった。それが、運命というものの正体なのかもしれない。
第六十二話と第六十三話で書いた重い扉を、自分は、そうして潜り抜けてきた。
村山に置いてきた言えなかった想い、本社で繰り返された言えない恋、川崎の夜のチェリーX1のヘッドライト——それらの一つ一つが、自分の中に積み重なって、ある日、大きな白いマスクの女性に、自分の足を向けさせた。あの最初のフロアでのすれ違いから、合コンの夜の帰り道、タイムカードのクリップ、近くの店の昼ご飯、チェリーでの山行、田中先生と筒田先生への挨拶——一つ一つが、淡々と、しかし確実に、二人の関係を結んでいった。
生まれて初めて、女性の前で、自分の言葉が、自然に続く相手だった。
それが何を意味するのかを、当時の自分は、まだ言葉にできなかった。ただ、彼女と歩く帰り道は、これまでの夜の道とは、違う色をしていた。三輪さんの机から離れていた時の、フロアの色を失った空気とも、違う。川崎の夜の、出口の見えない夜の色とも、違う。彼女と歩く道には、自分の足が地面に着いている、という確かな感触があった。
結婚を、二人で決めた。
出会いから、一年も経たないうちのことだった。父の勧めで、結婚式の場所も、新婚旅行の行き先も、少しずつ決まっていった。式の準備の細部は、次の話に書く。一つだけ、ここに書き留めておきたいのは、彼女の名前のことである。
鈴木洋子——日本で最もありふれた苗字と、清らかで広がりのある名前。
仮名にする必要のないほど、一般的な名前である。だから、ここでは本名のまま書く。半世紀以上の時間が経って、振り返ってみれば、この「鈴木洋子」という名前そのものが、自分のその後の人生において、ある重要な意味を持って立ち上がってくることになる。それは、後の話で書かなければならない。今は、ただ、出会いの瞬間の、大きな白いマスクの女性の輪郭を、ここに残しておく。
あの最初のフロアの風景の中で、自分の目を、ただ通り過ぎていった一人。それが、自分の人生の、半分の方角を決めることになる人だった。
◆ 制作者からのお知らせ ◆
姓名科学のサイトを公開しています。お名前から人生の運勢を読み解く、牧正人史先生の独自理論をAIで復活させたツールです。
→ 姓名科学サイト(yymm77.github.io/seimei-kagaku/)
方位学・易経・組織相性のツールも、同じサイトから無料でお試しいただけます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【無料】牧正人史式 姓名科学 解析システム(マシレ予測)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
#牧正人史 #マシレ予測 #至誠の覚醒


コメント