私たちはしかし、「専門家」の発言には、何も考えず、無批判に従ってしまうことがあります。
「専門家」に対して及び腰になってしまうのは、専門知識の絶対量で負けている、と気後れしてしまうからでしょうか。
科学にもそれが言えます。「科学的にこれが正しい」と言われると、ああそうかなあ、と得心してしまうのです。
でも実は、科学もまた、時間とともに「正しさ」が変わってしまうものなのです。例えば古代ギリシャ時代、当時の科学者のトップランナーたちは、この世界は、空気・火・土・水の4大元素でできていると考えていました。いまなら小学生でも「正しくない」とわかります。
もこの考えは、なんとヨーロッパでは18世紀くらいまで、「正しい」と信じられてきたのです。
地球が自転しているという科学的「正しさ」も、コペルニクスやガリレオ・ガリレイの登場を待たなければなりませんでした。ガリレオは宗教裁判に2度もかけられます。1616年と年のことです。結果、ガリレオは、異端者として弾圧されました。ローマ教皇がこの裁判を誤りであると認めたのは、ガリレオの死去から実に350年後のことでした。地動説はその後、ニュートンの万有引力に基づく軌道解析(1687年)等を経て、1838年にようやく確固たるものとして認められました。
一般的に有名ではありませんが、オランダにオンネスという科学者がいました。いまからちょうど100年前を生きた人物です。彼は、金属の温度と電気抵抗の関係を調べようとしました。
金属というのは、温度が下がれば下がるほど、電気抵抗が少なくなっていくのです。普通、温度が上がると少なくなるようにも思いますが、そうではないのです。金属の温度が低くなりますと、金属の中にある原子核が振動しなくなります。すると電子が通りやすくなって、抵抗が減るのです。難しくいうとそういうことなのです。
オンネスは、金属を冷やそうとしますが、冷やすという作業は、実は結構難しいのです。熱が出たときに氷枕をするのは、氷枕の温度が、頭より低いからです。同じ水温でも、外気温によっては冷たくも感じるし、温かくも感じる。オンネスの場合、とにかく低くしたかった。絶対零度は南極でも零下273度ですから、そこを目標にしたというわけです。しかし、地球上の気温は、南極でも零下40度ですから、話になりません。
そこでオンネスは、大きな冷凍庫のような特殊装置を作って、熱学的に冷やすという非常に難しい試みに挑戦しました。使った金属は水銀です。これを毎日、1度ずつ、温度を下げ、抵抗をはかっていく。気の遠くなる作業です。しかも特殊な装置を作ってやっていますから、馬鹿みたいにお金もかかります。
もしこの途中で、政府の「仕分け」にあったら、このオンネスの実験は中止でしょう。だって、成果が見えないのです。すでに、「温度を下げると抵抗も下がる」ということは、科学的に証明されています。オンネスがいくら実験を続けようが、その事実に変化がないのです。
しかも実験に使っているのが水銀です。銅ならば、実用にも使えるかもしれませんが、水銀です 。いったいこの膨大なお金をかけた実験結果を何に使えるのか。お役人にはさっぱりわからないはずです。やっているオンネス自身にも、確かな手応えがあったわけではないでしょう。
疑問が浮かんだから実験をしている。ただそれだけです。
オンネスは、零下268度まで実験を続けました。実験結果は、まったく変わりません。抵抗が下がっただけ。日にちもお金も浪費し、さしたる結果も出ない。本人の気持ちはいかばかりだったでしょう。
しかしオンネスは続けました。
次の日、零下269度まで冷やしました。するとどうでしょう。なんと抵抗がゼロになったのです! これは世紀の大発見でした。なにせ、科学的な常識が引っくり返ったのですから。
世界中の科学者の誰もがAだと信じていた結果が、実はBだった、とこうなったわけです。実際ここから、「超伝導」が発見されます。
オンネスがやったことは、「金属の温度を下げると電気の抵抗も下がる」という科学的常識に、「ほんとかな?」と思い、それを確かめてみただけでした。何も「超伝導」の現象を発見するのだ、と意気込んでいたわけではないのです。温度が低くなるにしたがって電気抵抗が小さくなり、絶対零度では0になるんじゃないか、とは思っていたようですが、確信はありませんでした。やり続けたら何が起こるのか、それを自分の目で見ようとしただけなのです。
もし、科学的正しさを盲信していたならば、オンネスの大発見はなかったのです。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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