こうした姿勢は、自然に対しても貰かれていました。
アイヌ人は、川に上ってくるサケや川魚を食料にしていました。川に生かされているということを自覚していて、川を非常に大切にしました。具体的に言うと、アイヌ人は、川の上流に村を作らなかったのです。上流に進出していけば、住む地域は広がりますが、川の恵みは枯渇していきます。それがわかっていた。だからある一定の地域にしか住もうとしませんでした。
自然と人間の活動を調和させていたのです。
住む地域も食料も限られるわけですから、ある一定数以上、人口は増加しません。増加しないから、自然環境がこれ以上、損なわれることがないのです。上手に、自然と自分たちの生活のバランスを取っていたというわけです。狩りの仕方もそうでした。アイヌの人々は、狩りに行くときに占いをするのです。今日、狩りに行ったほうがいいかどうか占うのです。で、「今日は行っても獲物が捕れない」という宣託が出ると、狩りを休みました。
これはしかし、非常に非効率的です。毎日、狩りに行ったほうが、獲物は多いに決まっているのですから。どこで狩りをしたらいいか占うならまだしも、行くか行かないかを占うのは、現代人から見るとナンセンスです。
アイヌ人の「正しさ」に照らし合わせれば、これが正解でした。占いをすることで獲物の絶対量が減るということは、自分たちの食料になる獲物の量が減りすぎることがない、ということです。占いは、狩りに行く頻度を下げるために行なわれていたのです。力の強い人間という種が思うように狩りをしますと、動物がいなくなってしまうわけですね。
例えば、西洋人が北アメリカに入植した当時、アメリカの空には何十億羽というリョコウバトが飛んでいました。鳥類史上もっとも多くの数がいたとも言われている鳥です。なにせ数が多いものですから、鉄砲で撃てばすぐに取れた。簡単に食料を確保できたのです。
ところがあるときふと気づくと、空にはたった一羽のリョコウバトも、飛んではいませんでした。すべてを撃ち殺してしまったのです。入植が始まってから約300年後の1914年、動物園で飼育されていた一羽が死に、アイヌ人は、こうしたことが起こりうることを知っていました。狩り(生活)を永続的に続けるためには、狩りに行く日数を制限しなければなりません。それが占いだったのです。
ついにリョコウバトは絶滅してしまったのです。
これは草原のライオンなどもそうです。テレビでライオンの様子を見ると、集団でごろごろしているようにしか見えません。でもそれでいいのです。毎日全力で狩りをしていたら、自分たちの食料である草食動物がいなくなってしまいますから。必要な分だけ狩ったら、あとは寝て過ごす。それが自分たちを生きながらえる方法だと、ライオンたちはわかっているのですね。
アイヌという民族は、こう考えると、非常に判断力が高く、全体のバランスを考えることができる能力を持っていると言えます。平和を好み、穏やか。生活の知恵もたくさん持っている。
現代人のわれわれから見ても、アイヌの生き方は「正しい」と映ります。
しかし、いくら正しい人でも、力がなければ、生き残っていくことはできないのも世の常です。それはアイヌはじめ、いろいろな民族の歴史が証明しています。
倭人との戦いでは、和睦交渉の場で酒宴がもうけられ、酔ったところで斬り殺されるということもありました。こうしてアイヌの長――戦士たちは、常に悲惨な最期を遂げるわけです。
それはアイヌに暴力と邪悪さがなかったということですね。「正しさ」は、一方で力などの後ろ盾がなければ貫くことができないという場合もあるのです。その段階をまだ現代人は、抜け出せていない。そのことをアイヌの歴史は、私たちに教えてくれているのです。
私はアイヌの人たちの生き方に多くのことを学びました。学び始めた頃は、衝撃さえ受けました。通常、「戦争は人間にとって避けられないものだ」、あるいは「剣を取って自由を守れ」という言葉には私たちは正義を感じます。しかしその正義は、アイヌと比較してみると、「私たちが歴史で学ぶ血腥い時代と地域だけ」のこととわかったのです。
高等学校の歴史の時間を思い出してください。
日本では、源平の戦い、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、関ヶ原の戦い、日露戦争……と教わることは戦争のことばかりでした。もちろん歴史的には戦争によって政権が代わったりしますから、どうしても戦争が主になってしまうのでしょうが、それはつまり国の上層「政権」、部だけのことです。
平清盛が病死して平家が滅亡し、源氏の鎌倉幕府ができても、庶民の生活にほとんど変化はありませんでした。変化と言えば、荘園を管理している貴族が武家に代わったぐらいで、庶民に比べればデラックスな家に住み、威張っている人が、変わらず上にいるだけのことです。
1192年(最近では1185年ということに変更されてます) に鎌倉幕府が開かれたということをイヤというほど習い、年号を覚えさせられましたが、私は「歴史学上の錯覚」か「権威主義」だと思っています。
もっと大切なのは「およそ1200年頃に武家政治になったが、庶民の生活や農業で生計を立てることにはなんの影響もなかった」ということだと思います。
そう考えると、いったい、日本の戦争というのは何だったのでしょうか?
外国では戦争が起こると、負けた国の人たちは奴隷として戦勝国に連れていかれ、奴隷になって生産を担当しました。ギリシャでも人口の2%が支配層で、98%が奴隷だったとも言われて

います。しかし、日本は四面を海に囲まれ、天皇陛下をいただくほぼ単一民族と言ってよい状態だったので、奴隷は存在しませんでした。戦争をするのは単なる武士同士のメンツみたいなもので、平家も源氏も、足利(室町幕府)、徳川(江戸幕府) でもまったく同じなのです。
つまり、戦争はやむを得ない、もしくは正義であると言うのは権力争いをしている上層部だけであり、庶民には無関係とも考えられます。
戦争の正義、領土の正義の結論を出す前に、もう少し視野を広げてみましょう。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より