はじめに 「眠れない講義」を始める前に

大学の講義では、まあ随分と気持ちよさそうに眠っている学生が何人かいます。私からすると、自分の知らないことを知ることは、人生の大きな財産になると思っていますものですから、これは非常にもったいない。学生諸君は眠り惚けることで人生を損しているのではないかと心配になります。しかし、彼らがそのことに気づくのはずっと先のことでしょう。見方を変えると、どこでもかしこでも眠れるということは、それだけ身体的に健康ということかもしれません。
私はというと眠ることがとても苦手です。不眠症といってもいいでしょう。
「眠れない」のは、昔からです。
自分が不眠症だと気づいたのは、中学生になってからでした。布団で横になっても、ほとんど眠れないのです。朝の牛乳配達の音が聞こえるまで寝られなかったということもたびたびありました。体も弱かったので、睡眠不足はさらに幼い私の体に打撃を与えたようです。
明日、臨海学校に行くとか、受験だとか、そうした大きなイベントの前夜は、とくにダメでした。
ほとんど眠れません。寝たとしても、せいぜい30分程度です。体力がないところに、眠らずに臨むのですから、当日はフラフラでした。
この不眠症、治そうとするのですが、治りません。何をやってもうまく眠れず、かえってストレスばかりが高じました。
やがて、私は考え方を変えるようになりました。
眠れないのが自分である。だったら、それを受け入れよう、と。これで、随分楽になりました。眠れないなら、その分、時間を有意義に使えばいいのです。
熟睡=睡眠、という考え方もやめました。身体を横にしているだけでも、動いているよりは疲れが取れます。ベッドに横になることを「寝る」ということにしよう、と考えたのです。
これでさらに、楽になりました。それまでは、「眠る」ということに縛られていたのです。
目を閉じて熟睡しなければダメだ、と思い込んでいたのです。それが「正しい」と思っていました。しかし、別の考え方――別の「正しさ」と言ってもいいですねー――を身につけたことで、人生が明るく開けたのです。この体験は、私の思考における基本となりました。つまり、ひとつの考えにこだわっているから、人は不幸になるのです。いろいろな考え方を取り込めば、それだけ、「自分」という存在が大きく広がるのです。
世の中には考えることがたくさんあります。正解がないことが多い、と言ってもいいでしょう。正解がないということは、言い方を換えれば、正解がたくさんある、ということです。
こんな考え方もある、あんな考え方もある……こうやって、自分を広げていけば、どれだけ人生が豊かになることでしょう。
今回の第1回目の講義のテーマは「正しさ」とは何か? です。
「正しいこと」を学ぼうとしたら、大学など、教育の場では、まず「ギリシャ哲学」を思い出し、カントの「純粋理性批判」を論じたくなります。ヨーロッパの哲学者の話が出てきて初めて、「正しさ」を論じた気分になるかもしれません。宗教的にはイエス・キリストの「福音書」やお釈迦様の「仏典」になるかもしれません。
しかし本書では、あえてこうしたものに触れていません。私が思うに、ヨーロッパ型の「正しさ」とは、「利己的な正しさ」だからです。利己的な正しさ――自分に有利になる「正しさ」を、多くの人にとって「正しいこと」のように錯覚させる方法であり、本当の「正しさ」を知って、人生に活かして幸福な一生を送るためのものではありません。
日本なら聖徳太子や親鸞聖人、本居宣長など江戸の学者たち、西田幾多郎の『善の研究』など、中国なら孔子や老子、ヨーロッパとはまた違った角度から見た「正しさ」の系譜を、私なりに咀噌して、現代流に整理する――本書はこうした本だと思ってください。
神道、仏教、儒教、キリスト教、東洋•西洋の哲学、倫理学などを総合し、あくまで現代社会で生きていくために役立つ「正しさ」について考えていきたいと思います。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より