著者がこれまで計算してきたほとんどの例では、「環境負荷と廃棄物の処理にかかる費用はほぼ同じ」ということでした。理由は比較的簡単です。廃棄物の処理にかかる費用の内訳は本著にも何回か書きましたが、トラックのガソリン、トラック自体、タイヤ、トラックの運転手の弁当、飲料、倉庫の建設、管理用のパソコンなど、すべて「物質とエネルギー」なのです。
家庭でも工場や会社でも「経費がかかる」ということは何か製品や電気を買うことであり、何も買わないのに経費がかかることはありません。もちろん、社員を減らして自動化したり、社員の代わりに臨時のアルパイトを雇って人件費を倹約することはできますが、このようなことは経理的な操作であり、環境を守るということには関係ありません。もし、そうではない計算を見かけたら主婦の労慟がタダになっているかを調べるとわかります。
「ゴミの帳簿のつけかえ」で示しましたように、環境問題は分類の問題ではなくゴミの総量を減らしたりすることであって、ある会社のゴミを下請けに出したり、税金で処理すればゼロになるということではないのです。
実は、「環境負荷が経費と同じ」ということは重大な意味を持っています。つまり、もし日本が「環境を守るためには多少の経費もやむを得ない」と考えたとしたら、それは「多少の経費がかかるので環境負荷はそれだけ増える」ということを意味しますし、また「多少の経費がかかるということは国際競争力を下げる」ということでもあるのです。
つまり、日本の環境を守ることは日本の経済を強くすることと同じなのです。不能率なことはそれだけ環境負荷になり、日本の産業と環境を痛めます。税金を投入するということは不効率な産業であることを示し、それをすることは環境を悪くし日本の経済発展を阻害します。
容器包装リサイクル法の最後の責任者はメーカーです。メーカーもある程度の負担を強いられますが、これも不合理な経費ではあります。しかし、リサイクルするために支払う主婦や自治体の負担と比較すれば軽い方です。それでも小さなメーカーなどはこの負担が厳しいところもあるでしょう。もし、負担が日本の環境を良くすることにつながればよいのですが、悪くするのですからメーカーにとってもやりきれない負担であると思います。
「経済活動と環境は一致する。計算が一致しなければ何かの項目を無視している」ということが明確にいえます。したがって、「環境を良くしよう」ということと「景気を良くしよう」ということは同じことなのです。決して不能率で税金で助けなければ活動できない産業を応援してはいけません。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より
環境を良くすると景気も良くなる
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