ユダヤ人の「生存の理性」は、生存は他民族の国民性の解体にかかっていることを知り抜いています。デイアスポラ(祖国喪失)の民の生存の場は、国民間の生存の修羅場であってはならないのです。純度の高い民族性はあってはならないのです。国民の破壊は、国民性(歴史・伝統・伝承・言語・文化・等々)の破壊・否定・嘲弄としての普遍主義・インターナショナリズム・グローバリズムの称揚として現れます。デイアスポラ以来生き抜いてきたユダヤ人の生存の理性と情動を、いま日本人は知らねばなりません。
日本国憲法や教育基本法・日本民法・等々を構成している価値群は、マルクス主義にインプットされた悪意のイデオロギーであることを知らねばなりません。
もともと日本にはユダヤ人はいないし、反ユダヤの感情もないのです。ところで、東ヨーロッパではあまり進みませんでしたが、西ヨーロッパは徐々にユダヤ人を解放してきました。最もユダヤ人が多く住み、一番酷くユダヤ人を迫害したのが帝政ロシアでした。日露戦争では、世界のユダヤ人社会は日本を応援してくれたのです。歳入二億三千万円の日本が十八億円を借りて日露戦争を戦い得たのは、世界のユダヤ人社会の応援の賜物でした。
前の拙著で、私は恩人のユダヤ人社会を裏切った日本の非文明的な行為が日米関係破局の初期設定となったと書きました。日本が「生存の意志と情動」を誤らなかったならば、一九一七(大正六)年のあのロシア革命の正体も正しく理解したに違いないのです。
日米は共同でシベリア出兵をしたと、例えば高校教科書はすべて書きます。しかし、アメリカのシベリア出兵の目的はレーニンやトロツキーたちへの側面支援なのです。日本は逆に反共産主義の干渉なのです。だから、日本軍はアメリカ軍から、散々な仕打ちを受けたのです。その後、ロシアでは反ユダヤの高まりが共産主義と化合し、レーニンの死後、トロツキーたちユダヤ人は、反ユダヤのスターリンから粛清されていきますが、日本帝国は事態の意味が全然理解できていませんでした。ヒトラーとスターリンはともに社会主義者なのです。だから近親増悪の虜になりました。日本の過激派同志の内ゲバを想い出しましょう。アメリカやイギリスは単純に反共産主義の路線を取ったのではないのです。情報の孤絶は国家にとって致命的です。
第一次大戦の敗戦国ドイツが、ロシア革命に続こうとした「ユダヤクーデター」は挫折し、ワイマール共和国はユ ダヤ共和国とドイツ国民に嫌悪されました。ワイマール共和国に対するナチズムの真性の反ユダヤ主義を、帝国日本は認識できませんでした。あろうことか、ナチスドイツと同盟をしたのです。日本がレーニンやトロツキーたちのユダヤクーデターの意味が理解できなかったのは、偏に情報の孤絶にあります。欧米に留学した日本人たちは、少なくない者たちがマルクス主義を誤解したままマルキストになりました。彼らはイデオロギーという言葉は知っていても、虚偽意識・悪意の意味が理解できなかったのです。ユダヤ人のポグロム(皆殺し)を繰り返すツアリー(帝政)に対する本気の敵意を、うかつに誤解した日本人は国際社会の痴者と化していきます。
美濃部達吉という秀オがいました。言うまでもなく天皇機関説の主唱者ですが、彼は師事したイエリネックの国家学をユダヤ法学の本質とともには理解しませんでした。師の主著『一般国家学』の要語Organ(オルガン)を「機関」と日本語化しました。Organというのは「器官」とか「道具」といった語なのですから、イエリネックは君主は支配の「道具」あるいは支配権力の「器官」としたつもりが、つまり君主制などは「権力」の道具に過ぎない筈が、わが美濃部達吉青年によると「機関」となり、天皇は日本国家の最高機関となりおおせたのです。
それがまた天皇陛下を「機関」とは不敬の極みと日本帝国では非難され、「最古回機関のために兵に死ねと言うのか」と命まで狙われる騒ぎとなったのは周知の通りです。
イエリネックは一九一一(明治四十四)年に生涯を閉じます。だから言葉の直接的な意味でフランクフルト学派と言うことはできません。しかし、彼の学問は法社会学としては大きな影響を残し、フランクフルト学派形成の基礎を成した人物のひとりです。彼は死しても、ワイマール時代のドイツ法社会学会の指導的な存在のユダヤ人でした。
彼の理論の特徴は、マルクスの国家理論を転倒させたことにあります。「生産関係」という下部構造の破綻から国家等の「上部構造」の瓦壊を考えたマルクス流を逆転させて、上部構造からの革命理論を始動させたわけです。レーニンは『国家と革命』などで、国家を支配階級の「暴力装置」と罵倒し、革命とは「国家権力」、つまりは暴力装置の奪取なのだと言いました。そして、ロシア・ユダヤクーデターは暴力装置の奪取をめぐる暴力革命となったのですが、イエリネックたちは現実の革命の展開を「上部構造からのそれ」と理論化していたわけです。経済などの「下部構造」の破綻はそれだけでは革命にはならないと敗戦ドイツの破綻した経済状況を見ながら、「権力奪取」とは「上部構造」プロパーにかかわる問題なのだと、門下生たちは考えました。彼らは法理論から国家機能を弱体化させることを考えるにいたります。君主は国家の荘厳装置の道具にほかならず、国家の暴力装置の「器官」にすぎないと、次のように「構造主義的」に理論化しました。
現実のプロレタリアートは疎外され、ブルジョア社会の構成部分として牢固として「構造化」されているから、そして構造化とは「文化」化なのだから、文化変革にこそわれわれは勝利しなければならないのです。
マックス・ウエーバーが喝破したように、資本主義社会はそれを産み出したエトス(精神)に導かれて誕生したのです。ブルジョア社会というのは、ブルジョア社会のエトスが構造化されたものなのです。芸術・演劇・映画・教育・音楽・新聞・雑誌・メディア………あらゆる分野・陣地こそが、上から下への勝利の道程なのです。対抗文化(カウンターカルチャー)の勝利者へとわれわれは自己を高めねばなりません。これが勝利の道なのだと、例えばグラムシやチャールズ・ライクは叫びました。この世の善悪・美醜・価値一般の基準はないし、文化の世界の支配者は変革者たる者たちのルールで変革されるべきだ、という思考世界が成立してしまったのです。左翼が文化言語を創り上げ、文化や芸術は左翼世界 の独占場となっていきました。美術・文学・音楽・演劇・映像・教育に至るまで「保守」は馬鹿の扱いしか受けなくなったのです。「だらしない」格好………「意味」もなく髭を………伸び放題の髪といったレベルでしか保守は文化に関われなくなったのでした。せいぜい保守は次のような悪口でしかコミットできないのです。
・結婚してもすぐ破局を迎える。
・責任ある地位についても、責任を果たそうとはしない。
・親になっても、父性と母性に満ちた態度をとらない。子供は概して反抗的である。
・伝統や古いものを徹底的に馬鹿にする。
・正直を馬鹿にする。
つまり、保守は芸術・文化音痴とされています。饒舌に冗説を述べるつもりは、私にはありません。これは現代の日本を呪縛しているフランクフルト学派発の戦後日本縛りの説明をしようとしているのです。先にも述べましたが、ニューディーラーなる大量の「赤いやつ(ピンカーズ・ピンコ)」が、GHQの権力を利用して日本の国家的な解体を企画しました。そして潜伏していた大量の日本人が合流しました。日本国憲法をはじめ教育基本法・民法、家族法、税制に至るまで、今日の日本の骨格・血肉を作っています。フランクフルト・シューレ(学派)と称されている思想集団(マルキスト集団)の特徴を、私は説明しようとしているのです。ルカーチやマルクーゼも有名ですが、もっと有名な人物がいます。フランクリン・ルーズベルト夫妻です。エレノア・ルーズベルト女史は「ザ・レッド(赤そのもの)」と「敬称」されましたが、彼女は「世界人権宣言」の執筆者として高名です。
夫婦別姓とかジェンダーフリーあるいは過激な性教育なども、源流は天皇機関説と同じなのです。
イエリネックの説明をもう少し続けます。
誤解されやすいのが、ギールケなどの国家有機体説です。「国家は有機体のごとく統一的な生命体」と説く、とするのがこの国家論の教科書的説明でしょうが、これなら美濃部達吉の機関説も天皇器官説として収まらないではありません。日本帝国の元首として統治主体としての叙述は不可能ではありません。類似の国家法人説というものもあります。国家統治の主権は国家に存するもので君主に存するにあらずという説明が、ほかならぬロシア革命に際して脚光を浴びることになってしまったのです。ロシアの革命政府は、ツアーの結んだ条約は破棄すると宣言したことから問題が派生しました。
ほかならぬ日露戦争のポーツマス講和条約も破棄するのかと、論議が沸いたのです。ポーツマス講和条約はツアー(皇帝)と天皇の間の条約だから当然に破棄だ、との革命政府の声明に、日本で憤激の声が高まったのは当然です。明治天皇はすでに崩御されて七年を経ています。この時の紛議の収集に法人説的な論理が用いられたのは、日本にとっては不幸でした。ポーツマス講和条約は日本国家とロシア国家の条約ですから、皇帝相互の契約ではないとする論理が次の火種を準備したのです。国家と天皇の二元論に道を開き、天皇は国家の格下なのかという紛議・憤激の声が大きくなってきました。
これこそ、イエリネック理論に潜む陥穽なのです。
イエリネック国家学はユダヤ法学なのですから、国民や国家観念の解体を秘めたエトスにしているのは当然です。ポイントは観念はまさに表象にすぎないとする点にあります。
国家とか伝統・文化・慣習・風俗………などは、観念的な表象にほかならないのであって、実体としてわれわれが認識できるのは「社会」のみです。社会(ゲマインデ)は実証的に認識できますが、国家は実証的認識の対象たり得ないのです。例えば「文化」とは、表象・観念にほかなりません。茶道が伝統や文化といっても、表象に従い人間が行為した時に実際(実証的)に認識できるにすぎません。このように国家は実体ではなく観念的表象であり、観念に疎外されて国家の実在を表象しているにすぎないのです。
実に国家とは人間疎外の象徴的存在です。隣人がいて家族がいる。家があり道が通じて、共同体(ゲマインシャフト)が実在する。この社会から出て、社会の上に立ち自己をますます疎外し、したがって社会を支配するのが国家です。ですから国家はまさに「幻想的共同体」(illusoliche Gemeinschaftlichkeit)として自己を疎外し、「国民」を疎外するのです。疎外からの解放のためには疎外を止揚できるための「批判理論」を、人間は「対自的」に獲得・構築しなければなりません。ドイツ語などは不要ですがマルクーゼの欺脆のキーワードですので記しておきます。マルクス発の用語です。
プロレタリアートは生活の中で益々疎外されています。マルクスが予想したような生産関係と生産力の矛盾の総体の破綻は、「下部構造」からは発生しないでしょう。だからマルキストたるものは、批判理論を確立し「上部構造」からの革命に着手しなければならないのです。青年マルクスの『経哲手稿』などが「初期の過激派」には人気がありました。意識改革の努力が、総体としてブルジョア社会の解体への着手なのです。家族を・教育を・女性を・国家をあらゆる疎外を解体・解放・止揚せよ。何かアジビラ調になりましたが、フランクフルト学派は日本では「新左翼」に大きな影響を与えました。団塊の世代にはマルクーゼとかルカーチ、あるいはグラムシとかは懐旧の念をそそられる向きも多いのではないでしょうか。
私(一九四二・昭和十七年生まれ)たちの世代は、サルトルの実存哲学などを懸命に理解しようとしていたものです。史的唯物論を乗り越えようとして「アンガジュマン(主体的関与)」なる言葉を理解しようとしていました。
しかし七〇年代に入ると、人間と文化を疎外している「物象化」を言うフーコーやレビィ・ロストースらの構造主義から、サルトルたちは厳しい批判を浴び、サルトルやボーヴォワールたちは凋落していきました。私たちの世代にはサルトルたちの凋落は強烈な印象を残しています。そして、サルトルたちが時代の前提としていた歴史を前に進めるアンガジュマンの主体性の議論は、ソ連崩壊とともに霧消しました。
私はセクトの経験はありません。しかし、グラムシたちの「構造改革」路線の論争には懐かしい思い出があります。江田三郎という議員が「構造改革」のリーダーのように誤解されていました。
母校の九州大学は、反「構造改革」の社会主義協会の拠点のように目されていて、所属した政治ゼミの指導教官から「構造改革路線」などは改良主義的な偏向だと教えられたものです。当時助教授で若かったこの先生が心から懐かしい。
さきの拙著を「読んだよ………いっぺん議論しようぜ」とお電話をいただいた瞬間に、私の涙腺は懐かしさで全開になってしまいました。私は学恩にお応えできず、卒論にレーニン主義批判を書いていました。先生たちは「若い時は問題意識は大きい方がよか」と、合格点を頂戴しました。
東京の飲み屋で先生は得意のドイツ語で「インターナシ ョナル」を高唱され、そして
「俺たちの青春の歌だ」と言われた。
「次はお前だ」と言われて、私は「無法松の一生」をドイツ語で歌ったら、先生は椅子から落ちんばかりに笑われました。
よか恩師の御壮健を心からお祈りすると、場違いにも書いたのは、少しわけがあります。
スターリン主義よりこれからはフランクフルト学派のような「潜り型」「潜伏型」の方がより危険だと、学生の私は先生との議論の中で放言しました。先生はコミンテルン第七回大会(一九三五・昭和十年)の人民戦線の提唱(ディミトロフ報告)の画期的な意義を強調されたときでした。生意気にも私は反論しました。
「先生、それこそマルクス主義の本質露呈の見本です。ユダヤ人は自分たちだけでは力足らずなので、まわりに人を結集しようとして、プロレタリアートは団結せよと言っているのです。反ファシズム人民戦線の提唱はマルクス主義の本音そのものです。反ワイマールの反ユダヤ主義がナチズムです。ユダヤ人は力足らずで統一戦線を言ったのです。だから日本でも、潜りマルクス主義者が仮装しました。日本にはユダヤ人はいないし、反ユダヤ主義もマルクス主義も両方が本人には分からなかったのです。日本の軍国主義はナチやファシズムとは別物です。今のグラムシたちの構造改革は人民戦線のリバイバルです。マルクーゼは、体制の中に入り込み、溶け込み、そして中枢に入れといっているではないですか。グラムシやマルクーゼは、日本の中に欺瞞の徽菌を撒いているようなものです。構 造主義の『構造改革』などは改良主義ではなく欺瞞そのものです。マルキストは潜れということですよ」
私はもちろん幼かったが、先生も若かった。真っ赤になって反論されました。
事実、知っている人物の多くが中央官庁やメディアに入っていきました。そして今や彼らは要路を捉しています。私は田舎の教師に転じて、ヒラの教師で定年を迎えました。 総じて言えば、私のような「右派」は少数でした。私は高校生の時は「左派」だったと思います。
高校の日本史の教師は冒頭に「搾取」と板書しました。「意味がわかるか」と私を指名しました。図体が目立ったのだと思います。「搾り取ることです」と答えたことは覚えています。炭坑の町は三池炭鉱の争議と閉山の不安に揺れていました。日本史の教師の説明に私は疑問を感じました。
「搾取により百姓は米は満足に食べれなかった」
「誰が食べたのですか?」
「支配階級の武士や大名だ」
「何%くらいいたのですか……武士たちは」
「六%くらいかな……」
「? 武士や大名の胃袋は大丈夫でしたか」
「なにを?」
「米は食べ物だから、酒や酢になる分を引いても、結局は食べるしかないとでしょう」
「理屈を言うな……」
私はこの幼い問答は覚えています。左派ムードがゆらりときたきっかけだったような気がします。つまらぬ私事ですが、私たちの世代は「真っ赤サー」が去っても、高校でも大学でも教師たちはピンコが多くいました。工学部の某学科は、某左翼政党の党員でなければスタッフにはなれないと聞いて、シ ョックを受けました。工学技術にマルクスもレーニンもあるかと、腹が立ったものです。中には大学上げて全学真っ赤という大学もありました。当時は国立は一期校と二期校に分かれていましたが、ある二期校の学芸大学は全学真っ赤と聞いていました。教員採用試験もピンコでないと合格しないと聞いていました。後日、高校の同窓会に出席したら、教員になっている者たちとケンカになってしまったものです。私を官僚か弁護士と勘違いした数人が「おぉ……出世しろよ」と椰楡したことからケンカになったのですが、日教組全盛の頃でした。
教師になると共産党系の高教組との論争が絶えませんでした。四千人を呼号していましたが、いまでは残党の域と聞きます。
今、日本は生存の危機に立っています。十年ほど前に中国の李鵬首相が「日本なんて二十年後に存在しているか」と嘲弄したことがあります。私はこの報を聞いた時に心から戦慄しました。その通りだと思いました。
フランクフルト学派 ・ニューディーラーの中心人物たちは、明らかに承知で悪意のイデオロギーを仕組みました。周辺のエピゴーネンたちは、善意で悪魔の歌を奏しています。日本には反ユダヤの思潮は存在しないし根本的に不要です。だから、ユ ダヤ解放のイデオロギーの呪縛から、日本人こそが自由にならねばなりません。
私は日本人の知性の覚醒力を信じます。日本人の生存の意志と情動の活力を信じます。
ただ私は団塊の世代が気になるのです。働き盛りが四十歳代とすれば、彼らはまさに一九九〇年代からの「失われた十年」を担っていました。それは単なる巡りあわせとしても、全共闘世代はフランクフルト学派のイデオロギーの洗礼をまともに浴びた世代なのです。
真っ赤サーのGHQのピンコと、全共闘の世代の揃い踏みは、何か平仄が合いすぎではないでしょうか。これは構造化ではなく偶然としたいものです。
椿散る おのれ朱きに
耐えかねて雪原に 鉄塔姿を 正しけり
俳文 再度終わり
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)