日露戦争が日本勝利の形で終わりました。日本将兵の勇戦はもとよりですが、勝利は米英の日本支援の賜物でした。帝国主義の当時にあって、戦争に国際的な干渉はつきものです。十年前の日清戦争の時に、日本の指導者たちは予期以上の三国干渉に慌てふためき、そして臥薪嘗胆を合言葉に、干渉に膝を屈しました。
日露戦争に干渉する列強はいないと、日本の指導者たちは考えたようです。なぜなら、日本の背後には米英がついていたからです。本当に伊藤博文たちがそのように考えたとしたなら、伊藤老いたりと言うしかないのが残念です。
重ねて言いますがこうした時、干渉は米英から来るものです。ポーツマス講和条約が成立しそうになったと同時にハリマンが来日しました。そして、桂・ハリマン協定が明治天皇の内意を得て成立したのです。しかし、小村寿太郎外相はこの協定という仮条約を一方的に破棄しました。日本の仕打ちにアメリカ国内には怒りの声が充満しました。日本の仕打ちはそれだけではありませんでした。
アメリカは満洲問題について、日本に特別の立場を認めるという「対日不干渉誓約」を取り付けられたのです(一九〇八・明治四十一年)。
そして、怒りを秘めたアメリカが計画した鉄道建設計画(錦州―愛琿間)を、なんとロシアと強調して中止させたのでした(一九〇九・明治四十二年)。
すでに見てきたように、このような日本の行動は、米英と世界のユダヤ社会の深い不信感を買うものでした。
これは権威を藉るつもりはありませんが、知遇を得ていた杉原千畝氏の慨嘆に拠っています。
杉原千畝氏は一九四一(昭和十六)年五月、ドイツにあって独ソ開戦近しとの情報を日本外務省に入れるものの、当時の外務省主流の忌避に触れ、リストラの形で外務省を追われたお方です。終戦の後にユダヤ人へのビザ発給を咎められたというのは誤解です。
桂・ハリマン協定の日本の裏切りが日本の運命の狂いの岐路だったと、述懐されたことがありました。同席者は亀山一二氏でした。氏は日米開戦時の外務省大臣官房電信課長でした。不意討ちだったのか、と聞く弱輩の私に「国策に騙し討ちはない……陛下の前だよ」と笑っておられたものです。杉原千畝氏・亀山一二氏と私の奇しき御縁は、ある人物の死を介したものでした。御両人は私の生涯の恩人です。二人の恩人を外務省から追ったのは吉田茂首相たちであると私は、密かに判断しています。この理由はまた後に記します。
御両人は、私ごとき若輩の面前で、軽々しいことを口にされることはありませんでした。
亀山一二氏は当時、岐阜県関市長であり、杉原千畝氏は隣の郡の八百津町が御郷里でした。
ロシア帝国にすれば一敗地にはまみれたが、ここは米英を満洲に入れないことが肝要であり、国力を養い米英抜きで日本とのリベンジラウンドを期すことだ、と考えたのは当然です。
このようなロシアの意図で出発した日露協商路線は、一九〇五(明治三十八)年より一九一七(大正六)年のロシ ア革命まで続きます。そして、共産主義革命に干渉したシベリア出兵の後日本は、ニコライエフ港における日本人数百人の虐殺の損害賠償を放棄して日ソ基本条約を締結しました。一九二五(大正十四)年のことです。しかしながら日本は、治安維持法を同年に制定しています。
共産主義ロシアと諸国に先駆けて国交を結びながらなのですから、やはり日本は分裂症(シゾフレニー)でした。保障占領していた北樺太から撤兵して基本条約を締結した余波により、アメリカのシンクレア社が有していた北樺太の石油開発利権が放棄させられました。日本はそれを認めたのです。ワシントン会議の後のことです。一九二二(大正十一)年に終結したこの会議は、明らかに米国の日本「敵視」の第一ラウンドでした。しかし、アメリカは中国大陸への資本参入の意図はあっても、それはあくまで日本と協調の下での、それであったのは明らかです。イギリスも同じでした。東アジアで日本を排除する意図はアメリカにはなく、日本の一人占めは警戒され始めていました。
ポーツマス講和条約で日本は南樺太を割譲させますが、これは本来からすれば日本の錯誤にすぎません。なぜなら樺太は、江戸時代には日本人しか住んではいなかった日本の領土にほかならなかったのです。幕末になりロシア人が出没するようになりましたが、日本(松前藩および幕府役人)の統治を受けていました。ロシアの軍艦も出没するようになりましたが、一斉にロシア人が姿を消したこともありました。クリミア戦争(一八五四~六・安政一~三年)勃発のせいでした。幕府の役人はロシア流に欺かれて樺太を「雑居の地」と認めてしまい、挙げ句はこの地も日本人の住む千島(ロシアは自領と称していた)と「交換」するのでした(一八七五・明治八年)。
ロシア流はいつもこの伝です。まず半分分けして、あとで全部盗るのです。満洲も沿海州もこの伝で清国は盗られました。日本は全部盗られました。南樺太とか南満洲とか、日露共同出資とかいったらこの伝を思い出すべきです。先取りしたことを言いますが、一九四一年の日ソ不可侵条約などは、この伝を忘れたか、あるいは売国の意図を秘めた日本人の祖国裏切りなのです。日本はソ連と組んで米英を排除する路線に迷いこんでいましたから、日ソ中立条約は三国同盟と併せて四国同盟として米英に対抗するつもりだったのです。
日本の一人合点は、結局はソ連に全部盗られて、日清戦争以前よりひどい状態に日本を追い込んだのでした。今次大戦の「一億玉砕」の本音はソ連軍に降伏するまで戦う、なのです。支那事変の「聖戦完遂」は高度国防国家建設なる日本の社会主義化が本音なのでした。これは次の章のメインです。話を戻します。
ロシア革命により、ロシアが日本などの連合国を裏切り、プレストリトブクス条約によりドイツと単独講和(一九一八・大正七年)を結び戦線を離脱した時も、日本はなんの行動も起こしてはいません。本来の日本領土の樺太をこそ日本は回復すべきだったのです。
しかし、日本はひたすら中国のドイツ利権と太平洋のドイツ領の島々を「攻略」したのみでした。その結果、マリアナ、マーシャル群島、カロリン群島を統治領とするにいたります。これらの諸島は、ハワイとフィリピンに割って入り、米国領のグアムや比島を包囲する形勢になることに配慮した痕跡はありません。結果論ですが、樺太を賢明に保持していたならば、日本は油田を所有する国になっていた筈です。
アメリカに石油を止められて日本は開戦します。米英と協調し、北に備える路線が日本の進む道であることにあまりに盲目でした。「当然の結果」の結果論なのです。これは平成十九年の今日も変わりません。ロシアのプーチン政権の周囲に群がろうとする「経済界」とは何なのでしょうか。日本人は大本帝国の血まみれの教訓を大切にすべきです。
日本は日本海海戦の勝利に自失してユーフォリズム(掏酔)という自己疎外に陥り、太平洋に自分に対抗できるシーパワーが存在しないことの意味から疎外されたのです。その結果、アメリカの対日脅威感を忘れたのです。アメリカの対日「戦争計画」のオレンジプラン(一九〇六・明治三十九年)は、対日防衛戦プランにほかなりません。日本海軍は誤解半分にプラスしてこれを海軍軍拡に利用しました。八八艦隊の計画がそれです。中心は山本権兵衛です。
八隻の艦隊と八隻の巡洋戦艦からなる建艦計画です。ワシントン軍縮会議の結果、建艦競争に枠がはめられ有名な五:五:三の比率が決められますが、日本海軍は自己疎外を重ねました。これは日本に不利だと喧伝したのです。承知で喧伝するのならともかく、どうも本気に誤解したようです。その意味で私は自己疎外などという言葉を使っています。
アメリカは大西洋と太平洋の両洋で五であり、イギリスも同じです。パナマ運河もまだありません。勃興するドイツに備えて必死のイギリスは深刻でした。米英が連合すれば十ではないかという論理を海軍は頻用しましたが、だから自己疎外と言うのでした。米英がれぞれの戦力の二乗の差の平方根となって現れるから、次のようになります。
個々の性能の等しい戦艦が五隻と三隻で決戦するとします。

つまり、三隻側は全滅し、五隻側は一隻が沈み四隻は勝ち残るのです(これを普通はランチェスターの定理と言っています)。空中戦でも前提が同じなら結果は同じです。
米英が十なら一の日本の絶対的敗北は明白です。

つまり日本は全滅し、米英は一隻も沈まないのです。だから「絶対的敗北」と言ったのです。ならどう考えるべきでしょうか。「絶対に戦わない」と考えるのが唯一の正解でしょう。現実にヴィンソン軍拡の実現(一九四三・昭和八年秋)以後に、日本海軍は全滅しました。
ところが、米英の提案は五:五:三。他にフランスとイタリアは一:六五なのですから西太平洋と日本近海の制海は日本海軍に頼ります、とのメッセージなのです。
つまり、日本近海・西太平洋・東アジアの海戦で日本に勝利することはできないというのがアメリカの前提です。だからアメリカは一九〇七(明治四〇年に大西洋を空にしても、全部の戦艦十六隻からなるホワイト艦隊(全艦が白く塗装された艦隊)を日本に派遣したのです。表面的には、日本は熱烈歓迎をしましたが、本心では桐喝だと考えました。
日本は自分のやっていることを確認すべきだったのです。これは桂・ハリマン協定の破棄をはじめ一連の日露協商路線への米英の抗議にほかならないということ、をです。大西洋を空にしたアメリカの後詰めはイギリスが引き受けていたし、地球一周の大航海は大英帝国の支援によって可能となりました。石炭補給も石炭船も殆どがイギリスの支援だったのです。
つまり、ホワイト艦隊の地球一周と日本寄港は、米英共同の対日デモンストレーションであり、共同でなければ日本遠征などは不可能だったのです。なぜ日本はそう考えなかったのでしょうか。もちろん理由があります。
それは、日本が統帥権の分裂というシゾフレニー(分裂症)に侵されていたから正常な思考ができなかったのです。
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)