盧溝橋事件は支那事変の発端ではない
一九三七(昭和十二)年七月七日(七夕)に響いた一発の銃声があの支那事変を引き起こした、という戦争理解が日本人の常識化しています。まことに困った知性の混乱と言わねばなりません。
支那事変の発端は西安事件にほかなりません。慮溝橋事件以後の戦闘は「北支事変」と呼びました。上海事変という大戦闘に直面して、九月二日に「支那事変」の呼称を日本は決めたのでした。北支事変と支那事変の詮索をしようというのではありません。強いて言えばどちらでもよいことです。呼称についてだけなら、です。知性の混乱、などと大げさです。しかし、日本の運命の岐路は西安事件だったのです。西安事件こそが日本と中国の運命の岐路となった事件だったと繰り返す意味は、以下に説明します。
当時から日本人はこの事件を軽視はしなかったものの、おそるべき意味については無理解だったというしかありません。今日までこの無理解は尾を引いています。囲碁に例えれば、この一手の意味が理解できずにへぼな手を連発して敗けたようなものです。支那事変は西安事件こそが開戦の起点なのです。
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)