超大国ロシアと戦う日本を支援してくれた国家は米英の二国でしたが、二国の内部をみれば共にユダヤ人たちでした。日本の戦費国債を買い支えてくれたのは、ヤコブ・シフ商会やロスチャイルド家を中心としたユダヤ人の勢力でした。帝政ロシアのユダヤ人迫害は過酷なものでした。祖国を持たないユダヤ人たちは、国際的団結で自分たちの生存を保つしかなかったのです。
アメリカ大統領ルーズベルトはオランダ系ユダヤ人の子孫です。当然に甥のフランクリン・ルーズベルト大統領(今次大戦の)もユダヤ人の子孫です。
日本人の多くがユダヤ人の歴史に疎いのが普通ですが、ユダヤ人の「携帯祖国」がユダ
ヤ教です 。ユダヤ教を捨てて 、キリスト教に改宗した人たちをエージェント(注1)と呼びます 。
「諜報者」といった意味を持つ言葉です。ルーズベルト、ローゼンプルグ、ローゼンバウム、ローゼンベルグ等々はもともとは同じ名でした。
「エージェント」という言葉を使いましたが、ユダヤ教を捨てて、キリスト教徒になったユダヤ人たちは、ユダヤ人を捨てたわけではないのです。キリスト教徒の社会と仲間になり、ユダヤ人の仲間を種々に扶けるというのがエージェントの意味です。

金子堅太郎子爵がルーズベルト大統領と大学の同窓生だったから、伊藤博文は金子をアメリカに送ったと言いますが、これも日本人の歴史音痴を物語っています。
確かに二人はハーバード大学の同窓生ですが、ルーズベルト大統領はエージェントなのです。ロックフェラーやモルガン財閥、そして鉄道王ハリマンたちは、ユダヤ人の敵・帝政ロシアと戦う本を支援したのです。
マルクスもエージェントの家に生まれたユダヤ人です。父は弁護士でした。マルクスは貧窮の中で『資本論』を書いたとなっていますが、これは伝説にすぎません。
ロンドンでのマルクス家の生活は裕福で、メイドが複数いたことが分かっています。ひとりのメイドはマルクスの子供を産みます。マルクスの妻・イエニーの怒りを避けるために、親友のエンゲルスは自分の子供ということで認知しています。
マルクスのユダヤ名はモルデイカイです。
エンゲルスもエージェントなのですが、彼は裕福な実業家でした。マルクスとエンゲルス二人の友情は有名ですが、エンゲルスなどの世界のユダヤ人社会の援助が、マルクス家の生活・事業・活動を支えていたのです。
百年前にはルソーたちがユダヤ人解放に気を吐きました。マルクスの任務はユダヤ人解放の理論を構築することだったのです。プロレタリアートの解放という名のもとの人間解放は、ユダヤ人解放が仮託された思想なのです。日本人はこれを大いに誤解しています。
『資本論』は『共産党宣言』のあとづけです。『資本論』の結論は青年マルクスが下しているではありませんか。『資本論』に漂う黙示録の雰囲気は偶然ではないのです。第五章で詳しく書きます。
一九一七年ロシア革命の指導者レーニンもユダヤ人です。ロシア革命の指導者たちの殆どがユダヤ人です。レーニンとトロツキーの革命と言われたロシア革命は、トロツキーを通じてアメリカのユダヤ社会からの莫大な支援がなされています。レーニンの仲間たちは、その後スターリンから殆ど全員が粛清されますが、トロッキーの「罪名」が「アメリカ帝国主義の手先」というのは皮肉なものでした。
日露戦争の時に、日本陸軍の明石元二郎のレーニンたちへの資金援助が日本では単独の業績として有名ですが、国際的なユダヤ社会の動向と無関係では、明石の活躍が可能だったと理解することはできません。ユダヤ人の敵・帝政ロシアと日本は戦っていたのです。だから、日本は満洲をアメリカと共同で開発・経営していたとシミュレーションしてみる価値は大いにあるのです。朝鮮の併合などは無用の沙汰だったと、結論が出るのではないでしょうか。

日本海はもとより、太平洋の北、西、西南の制海権は日本海軍の下にあり、満洲のアメリカ人・ユダヤ人・そして資本の安全は日本が担保するという筋のシミュレーションがなされていたならば、例えばシベリア出兵の時のアメリカ軍の不可解な行動の意味が、瞬時にして理解されたでしょう。シベリアのアメリカ軍の中に多数の英語を話せない兵士が混じっていたのは、彼らが「ポーラック」(ポーランド人)だったからです。アメリカに亡命してきたポーランド人(ユダヤ人)だったのです。
アメリカ軍は、シベリアに何を目的にやって来たのでしょうか。簡単なことです。日本軍の監視・分析・調査そして、ユダヤ政権への間接的支援です。
この当時の、日本陸軍の軍事思想はドイツ流のそれになっていましたが、アメリカは日本軍との共同行動を通じて 、日本軍への観察と研究を深めたようです。なぜでしょうか。
日露戦争の結果、特に日本海海戦によるロシア艦隊の全滅により世界第二位とされたロシア海軍の消滅は、太平洋に日本海軍に対抗できるシーパワーは存在しなくなっていたことへの理解に、日本の政治・軍事の当事者たちはあまりに鈍感でした。
アメリカは 、シミュレーションを繰り返した結果 、西太平洋遠征ではフランス・アメリカ連合艦隊は日本海軍に勝てないとの結論に衝撃を受けました。
アメリカの対日本防衛戦計画「オレンジプラン」の策定が開始されました 。
つまり、日露戦争におけるアメリカの本支援の本質は、アメリカの国益とそしてユダヤ支援にあったのでした。ユダヤ人のナショナルホームを築こうという運動・思想をシオニズムというのは周知のことですが、アメリカはシオニストが造った国ではありません。
しかし現在でも、イスラエル国家の断固たる後ろ楯はアメリカです。明治の日本は賢明だったという言説が盛んですが、私はこの点に関しては素直になれないのです。小村寿太郎外相を「カミソリ」と評するようです。東条英機首相もカミソリと評されました。しかし、日本にとって不幸でした。国家の大事は、カミソリごときに託してはならないものです。カミソリ「ごとき」は、紙・髪・髭に対する利器ではあっても、国家・民族の運命に対するものではありません。国家の大事は細工ではなく、揺るがぬ造作にかかるものでなければなりません。
東条英機以下の日本の指導者に対して、理不尽な「裁判」の名を借りた処刑が行われました。私はこの「東京裁判」に、毛筋ほどの正統性を認める者ではありません。靖国神社に祭られても私は当然と考えています(本章の後半でも触れます)。
私が申し上げたいのは、「罪」なるものは東条以下の昭和の指導者だけに存するのだろうかということです。
今度の敗戦に関して、ドイツはナチスに全部の罪を被せてしまいました。つまり、ドイツ国民はナチスという悪魔の被害者という立場を貫いて来ています。ヒトラーが悪魔で、ドイツ国民は被害者という論理はいかにもドイツ的です。ナチは選挙で第一党に選ばれたのに、です。
しかし、この論理を前提にする限りは、ドイツの国家的な「謝罪」はないし、賠償もありえません。だから、ドイツは「謝罪」もしなかったし、賠償も支払いませんでした。これには、ドイツの東西分裂という状況がドイツを助けていました。西ドイツだけが責められることではないという「助け」です。ドイツはこれを徹底的に利用しました。日本人にして、ドイツにならって賠償せよと言う人がいますが、犯罪的です。
このように、日本の対応はなんと支離滅裂なことでしょうか。単純な例です。
支那事変は日本が始めたのではありません。十万人余の日本の民間人を守る日本海軍陸
戦隊は五千人余の兵力でした。(注2) 蒔介石軍は主力・三十万人を集結させ、ドイツ将校団の指導のもとで錬成した中央軍で、日本人のポグロム(皆殺し)を企図しました。
これが上海事変です。全滅を逃れるために、日本は救援軍を送りました。大激戦となりました。日本軍の死傷者は七万人余に及びました。慮溝橋事件は共産党軍の工作であることは、今日では学問的にも確認されていることです。第四章で触れます。
日本政府と軍は、まんまと蒋介石軍との正面衝突の泥沼に陥って行きました。
この事態を誰が一番に喜んだでしょうか。蒋介石ではありません。この時点(昭和十二年)では、蒋介石は「支那事変」解決の当事者能力を喪失していたのでした。支那の背後と内部にソ連がいることの意味を、日本は国家理性の中枢たるべき人物、例えば近衛文麿首相たちは理解することができなくなっていました。国家理性の中枢がウィルスに侵されていたのです。コミンテルンです。日本の言論界は言うまでもありませんが、あろうことか日本政府・軍の中枢にコミンテルンの要員が棲みついていたのでした。本文で述べる尾崎・ゾルゲ事件は当時では大慌てで蓋がなされました。政府・軍の中枢に、コミンテルンの要員が巣を構えているなどとは、日本帝国の一大事でした。軍の首脳のうち、工作の痕跡の明白な者は当然にその座を追われました。武藤章たちの南方戦線への左遷がそれです。
なんという姑息な「処理」でしょうか。尾崎秀実(ほつみ)たちはほんの露頭部にすぎないのです。
ゾルゲにいたっては、ドイツ大使館に出入り自由の身分で、自由にドイツ大使館の情報に接していたのです。
支那事変の拡大はコミンテルンの利害と完全に一致するものでした。尾崎は事変の半端な収拾を否定する論文を書きまくり、武藤章や土肥原賢二たち陸軍の中枢にいた者たちも「聖戦完遂」を呼号して事変拡大の道を取りました。即時収拾を唱えた石原莞爾(いしはらかんじ)たちは軍から追われました。追った張本人の一人が、カミソリこと東条英機陸軍次官でした。
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)