安芳は幕府の命を受けて長崎に行き、オランダ人について航海術を学びました。修業がすんでからも続いて長崎に留って、血気盛りの海軍練習生を教え、九州の近海で、あちこちと航海を試みました。

間もなく、幕府は使をアメリカ合衆国へやることになりました。その時、使は合衆国の軍艦に乗せ、別に日本の軍艦を一艘やるという噂がありました。安芳はそれを聞いて、我が航海術の進歩を見せるには、この上もないよい機会だと思ったので、自分の教えた部下を指図して日本人の力だけで航海をしたいと願い出ました。

何分我が軍艦を外国へやるのは初めてのことであり、まだ練習も十分に積まない日本人だけでは危ないと思ったので、幕府は容易に許しませんでした。しかし、安芳があくまで願ってやまないので、幕府もついにその熱心と勇気に感じて、咸臨丸という小さい軍艦で安芳らをやることに決めました。

航海中は毎日のように雨風が続いて、海が大そう荒れました。嵐が激しい時には、船体がひどく揺れて、ねじ折られそうになったことが幾度もありました。

しかし、安芳らは少しも恐れず、元気よく航海を続け、日本を出てから三十八日目にサンフランシスコに着きました。アメリカ人は、日本人が航海術を学んでからまだ間もないのに、少しも外国人の助けを受けずに、小さい軍艦で、よくも太平洋を無事に越えてきたものだと、大そう感心しました。

(五年生)

『国民の修身』監修 渡辺昇一