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災難をよける法
たしか越後の良寛さんだったと思います。ある人から 災難をまぬがれる法如何?」ということを尋ねられたときです。そのとき、彼は、
「病気になった時には、病気になった方がよろしく、死ぬ時には、死んだ方がよろしく候。これ災難を免れる、妙法にて候」
と、答えたということですが、たしかに良寛さんのいうごとく、災難を免れる唯一の妙法は、災難を怖れて、それをいたずらに回避することではなく、あくまでその災難にぶつかって、これにうち克ってゆくことです。
病気に罹った時などでも、むやみに早く全快したいとあせらずに、病気を善智識とうけとり、六尺の病床を人生修行の道場と考え、病気と和解し、病気に安住してしまうことです。あのゲーテの「ファウ スト』におけるメフィストの、「苦しめることによりて、かえって我れを助け、幸福にする天使となった」というがごとく、病気をいたずらに自分を苦しめる悪魔と考えずに、天使と思って、病気と一つになることです。つまり、病気の三昧に入ることです。そうすればかえって病気は癒(なお)るのです。いや快くならないまでも、病気に安住することができるのです。「病気になった方がよろしく候」というのは、たしかにそれです。病気という災難を逃れる妙法は、まさしく病気になりきってしまうことです。病に負けぬことです。私の友人に荒谷実業という人がいます。たいへん豪胆な、意志の鞏固(きょうこ)な男ですが、彼がかつて軍隊にいた時、何かのはずみで、脚部を負傷したのです。どうしても手術をしなくてはならぬようになって、いよいよ入院して手術室に入りました時、彼は軍医に、麻酔剤の必要はないといって、敢然と手術台に上ったのです。そして非常な苦痛を堪え忍んで、とうとう完全に手術をしてもらったというのです。当時のありさまを彼は私にこういっていました。「自分はどれだけ苦痛に堪え得るものか、それを試してみたかったのだ」
なるほど、こうなれば人間も大丈夫です。自分で自分を試してみる、苦痛と戦う自分を客観視するだけのゆとりができれば、もうしめたものです。諺にも「病は気から」というくらいです。病気に負けてはなりません。病気に勝つことが必要です。いや、勝つか、負けるかを越えて、それにしっかり安住することです。しかしそれは結局、私たちの気持です。心もちです。
高神覚昇「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)