今からおよそ千三百余年前に、中国に嘉祥(かじょう)大師というたいへん有名な方がありました。彼は三論宗という宗旨を開いた高僧でありますが、その臨終の偈に、こんな味わうべき偈文(ことば)がのこされているのです。
「歯を含み、毛を戴くもの、生を愛し、死を怖れざるはなし、死は生に依って来たる。われ若し生まれざれば、何によって死あらん。宜しくその初めて生まるるを見て、終に死あることを知るべし。まさに生に啼いて、死を怖るること勿れ」
(含レ歯戴レ毛者。無二愛レ生不レ怖レ死。死依レ生来。吾若不レ生。因レ何有レ死。宜下見二其初生一知中終死上。応啼レ生勿レ怖レ死。)
後世、この遺偶を「死不怖論(しふふろん)」と称しております。有名な万葉の歌人山上憶良も、「生るれば必ず死あり。死をもし欲せずんば、生れざらんには如かじ」
といっています。ほんとうのことをいえば、たしかにその通りでしょう。生があればこそ、死があるのです。「死ぬことを忘れていてもみんな死に」です。忘れる、忘れないはともかく、みんな一度は、必ず死んでゆくのです。だから、死は生によって来る以上、生だけは楽しく、死だけが悲しい、という道理はないわけです。理窟からいえば、母胎を出でた瞬間から、もはや墓場への第一歩をふみ出しているのです。だから応(まさ)に生に啼いて、死を怖るること勿れです。死ぬことが嫌だったら、生まれてこねばよいのです。しかしです。それはあくまで悟りきった世界です。ゆめと思えばなんでもないが、そこが凡夫で、というように、人間の気持の上からいえば、たとい理窟はどうだろうとも、事実は、ほんとうは、生は嬉しく、死は悲しいものです。「骸骨の上を粧(よそう)て花見かな」(鬼貫)とはいうものの、花見に化粧して行く娘の姿は美しいものです。骸骨のお化けだ、何が美しかろうというのは僻目(ひがめ)です。生も嬉しくない、死も悲しくない、というのはみんな嘘です。生は嬉しくてよいのです。死は悲しんでよいのです。「生死一如(しょうじいちにょ)」と悟った人でも、やっぱり生は嬉しく、死は悲しいのです。それでよいのです。ほんとうにそれでよいのです。問題は囚われないことです。執着しないことです。あきらめることです。因縁と観ずることです。けだし「人間味」を離れて、どこに「宗教味」がありましょうか。悟りすました天上の世界には、宗教の必要はないでしょう。しかしどうしても夢とは思えない、あきらめられない人間の世界にこそ、宗教が必要なのです。しかもこの人間味を、深く深く掘り下げてゆきさえすれば、自然(おのずから)に宗教の世界に達するのです。
自分の心をふかく掘り下げずして、やたらに自分の周囲を探し求めたとて、どこにも宗教の泉はありません。まことに、「尽日春を尋ねて春を得ず。茫鞋(ぼうあい)踏み遍(あまね)し隴頭(ろうとう)の雲。還り来って却って梅花の下を過ぐれば、春は枝頭に在って既(すで)に十分」(宋戴益)
です。
「咲いた咲いたに、ついうかされて、花を尋ねて西また東、草鞋(わらじ)切らして帰って見れば、家じゃ梅めが笑ってる」
です。一度は、方々を尋ねてみなければ、わからないとしても、「魂の故郷」は、畢竟(ひっきょう)わが心のうちにあるのです。「家じゃ梅めが笑ってる」です。泣くも自分、笑うも自分です。悩むも、悦ぶも心一つです。この心をほかにして、この自分をのけものにして、どこにさとりの世界を求めてゆくのでしょうか。求めた自分(おのれ)は、求められた自分なのです。求めた心は、求められた心なのです。
高神覚昇「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)