ところで、いまこの般若の智慧によって、この現実のわれわれの世界を眺めまするならば、事々物々、一つとして役に立たぬつまらぬものはないのです。あの「つまらぬというは小さき智慧袋」という一句が、きわめて巧みに物語っているように、真理への眼が開けたものにとっては、この世界につまらぬものは一つとして存在していないのです。「医王の眼には百草みな薬」です。つまらぬというのは、ものがつまらぬとか、話がつまらぬというのではなくて、つまり、おのれの智慧袋が小さいからなのです。一たび般若という、大きい智慧によって観照するならば、つまらぬどころか、いずれもみな貴い真理の表われです。ロングフェローの「建築師」という詩の中にこんな言葉があります。

世の中に、無用のものや、卑しいものは、一つもない。
すべてのものは、適所におかれたならば、最上のものとなり、
ほとんど無用のごとく見えるものでも、
他のものに力を与えるとともに、その支えともなる。
私たちの建築に供給するために、時の中には、材料がいっぱいになっている。
私たちのもつ今日や明日は、
私たちの建築の有力な材料である。

と。たしかに味わうべき言葉だと思います。
高神覚昇「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)