今日「絵心経」といって、文字の代わりに、一々絵で書いた「心経」が伝わっておりますが、これは、俗に「めくら心経」または「座頭心経」などとも申しまして、文字の読めない人々のために、特にわざわざ印刷せられたものでありますが、それによっても、古来いかに広く、この「心経」が一般民衆の間に普及し、徹底しておったかを知ることができるのであります。ところで、今回お話し申し上げようと思う「心経」のテキストは、今よりちょうど1280余年以前かの三蔵法師で有名な中国の玄奘三蔵が翻訳されたもので、今日、現に「心経」の訳本として、だいたい七種類ほどありますが、そのうちで「心経」といえば、ほとんどすべて、この玄奘三蔵の訳した経本を指しているのです。ところが、前もってちょっとお断わりしておかねばならぬ事は、平生、私どもが読誦している「心経」には、「般若波羅蜜多心経」の上に、「摩訶(まか)」の二字があったり、さらにまた、その上に「仏説」という字があるということです。学問上からいえば、いろいろの議論もありますが、別段その意味においてはなんら異なることがありませんから、このたびは玄奘三蔵の訳した経本によって、お経の題号をお話ししてゆこうと存じます。 書物の題とその内容 およそ「題は一部の惣標(そうひょう)」といわれるように、書物の題、すなわちその名前というものは、その書物が示さんとする内容を、最もよく表わしているものです。もっとも今日、店頭に現われている書物のうちには、題目と内容とが相応していないどころか、まるっきり違っているものも、かなり多くありますが、お経の名前は、だいたいにおいて、よくその内容を表現しているとみてよいのです。たとえば、経典のうちでも、特に名高いお経に、「華厳経(けごんきょう)」というお経があります。これはわが国でも、奈良朝の文化の背景となっている有名なお経なのですが、ちょうど「心経」を詳しく「般若波羅蜜多心経」というように、このお経を詳しくいえば、「大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんきょう)」というのです。さてこのお経は仏陀になられた釈尊の、その自覚の世界を最も端的に表現しておるお経ですが、その「大方広」という語(ことば)は、真理ということを象徴した言葉であり、「華厳」とは、花によって荘厳(しょうごん)されているということで、仏陀への道を歩む人、すなわち「菩薩(ぼさつ)」の修行をば、美しい花に腎えて、いったものです。で、つまり人間の子釈尊が、菩薩の道を歩むことによってまさしく真理の世界へ到達された、そうした仏陀のさとりを、ありのままに描いたものが、すなわちこの「華厳経」なのであります。 高神覚昇「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)
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