他人に対してやさしく接したり、親切にしたりする気持ち、また逆に、人を憎んだり、嫌がらせをしたりするのは、食傷の行動力と官殺の自己規制の作用が関わることになり、人に対して慈しみを感じるところは木の働きによる。この木の作用に、官殺の自己規制の作用が加わるなら面倒見がよかったり、人にも のを頼まれると断われないような性格になる。最も典型的なのが、日干が戊土か己土で官殺の甲乙木が隣接し、日干を剋している場合である。日干が弱ければ弱いほど、やさしくて、情に流されやすく、いわゆるいい人となってしまう。
また、親切も度を過ぎたり、的を得ていないのはかえって相手に不快感を与えることになる。そうしたちょっとお節介な性格になるのは、相手の気持ちを察する財の働きが十分ではなく、同時に食傷が日干に隣接しているような場合である。
あるいはまた、日干が強いのに財の作用が不十分で、かつ印が日干に隣接する場合は、自己満足的な優しさとなってしまいがちである。優しいとか親切といったことは人が評価することであるのに、そうした人は「私はやさしい人だ」とか「私は何と親切なんだろう」とか、自己陶酔の世界に陥ってしまうのである。しかし、このような場合、本人は親切だと思っていても、その通り他人に評価されることはまずないので、そのことに対して不満を いだくことになり、食傷が隣接しているなら、思ったことを何もかも口にしてしまうため、他人から愚痴っぽいと言われることになることもある。
思い通りに事が運ばないのは、その人の言動が的はずれであるためであるが、財の作用が不足すると、そうしたことに本人は気づかないのである。
一般的に、大運を含めて見て、日干が強の部類であり、食傷が日干に隣接していて財が日干に隣接していない場合は、本人は意識していないことが多いが、不平不満があるとすぐに口に出してしまうような性格になると言える。
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より
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