古来より、甲木と己土のように陽干が陰干を剋する関係は「剋ではなく合(ごう)である」と言われてきたが、剋として理解してまったく不都合はない。剋とは別に「合」などという関係を作り出す必要はまったくなく、この点は実証的に証明することができる。ただし、剋する側の干が陽干であるため、剋される側の陰干は強力に抑え込まれることになる。合の問題については後述することにする。
また、剋する側が陰干で、剋される側が陽干の場合、関係は剋ではあるが、剋の作用は発生しない。例えば、陽干の甲木は、陽干の戊土と陰干の己土を剋して弱めることができるが、陰干の乙木は、隔干の戊土を剋して弱めることはできないのである。同様に陽干の丙火は庚金も辛金も剋して弱めることができるが、陰干の丁火は陽干の庚金を剋して弱めることはできない。
これは陰と陽の干の作用の違いに由来することである。ただし、陰干は陽干に歯が立たず、剋して弱めることはできないが、剋する側の陰干はその力量を消耗することにはなる。
十干においても、同じ五行の干同士で扶け合い、幇の関係が成立する。例えば、陽干の甲木は、同じ五行の甲木と乙木を扶けることができる。しかし、陰干の乙木も甲木を扶けることはできるが、陰干の扶けは陽干の扶けに比較して無力であるという相違が発生する。
十干の文字は殷墟から発掘された甲骨文字に見ることができるが、当時、陰陽とか五行という概念が成立していたかどうかはまったく不明である。五行と十干の関わりについての明確な記述を見ることができる文献は、紀元前2世紀前後に成立した『藉記』の「月令」または「呂氏春秋」であり、これらの沓が成立した頃には、陰陽五行論の基本的な骨組みはでき上がっていたものと推察することができる。
現在、十干は大変なじみの薄い漢字であり、日常生活の中で目にすることはほとんどない。法律関係の書類とか契約沓に「甲は乙に一切の責任を‥‥‥」といったくだりを見るくらいである。しかし、陰賜五行論は一見難解で複雑なようであるが、その基本的な構成要素はこの十干のみと言っても過言ではなく、四柱推命において、もっとも重要な要素となる。
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より