◇家族を愛する自信が災害を予知した

自信というものを、たんに技術や能力としてのみ考えるのはまちがいです。人を愛すること、人のためにつくす自分を想像することも、大きな自信を植えつけてくれるものです。たとえば、こういう例はどうでしょうか。

カリフォルニアで家族とともに平和に暮らしているビジネスマンが、あるとき仕事でニューヨークに行きました。彼はそこに二週間滞在する予定でした。ある晩、ホテルで一人寝ていた彼は夢を見ました。

その夢はなんとも不吉なものでした。自分の家が大雨で押し流され、妻と子が助けを求めて泣き叫んでいる‥‥‥目が覚めた彼は、すぐに家に電話をしたところ、大雨が降っているという。彼は身のまわりのものを持って近くの高台のホテルに避難するよう妻に命じました。そのときは、誰が見てもとてもそんな必要はないと思われる情況でしたが、家族は夫の指示に従いました。

結果はどうだったか。雨は降りつづき、彼の家は本当に押し流されたのです。彼は家の命を救ったのです。この事実をいかに解釈すべきでしょうか。マーフィー博士は「彼潜在意識の中で妻と緊密に心が結ばれていたし、お互いの導きと庇護を願っていたので、彼は危険を事前に感知し、妻もそれに従ったのだ」といいます。

心に浮かんだことが、事実そのままに起きる―――これを同時性と呼びますが、易にはこの同時性ということがしばしばである。それをマーフィー博士は「潜在意識に内在してるものの結果として、これからおきることを察知する能力を人間は持っているのだ」と設明しています。

では、そうした察知能力はどこから出てくるか。いうまでもなく潜在意識のなせるわざですが、それは前にいったその人の自信というものに裏付けられている。この男性の場合は「家族を愛している」「妻や子と心のきずなで結ばれている」という「自信」、これ客観的な事実がおきる前にそれを察知させたのです。

しかしいくら自信があっても、このビジネスマンのように、たまたま夢を見たからいいが、もし夢を見なかったらどうなっていたか。家族は避難しただろうか。それはわかりません。たしかに、人間はそんなに都合よく夢を見るわけではない。そういうケースはむしろ稀といえるでしょう。

ここに人間の能力の限界があります。みんながみんな、このビジネスマンのようにはいかない。そこで出てくるのが易の効用ということです。易はわたしたちに未来を感知させるキーワードを与えてくれる。

わたしたちの潜在意識は未来を察知しているが、それが意識の上にのぼってこないことが多い。それを易は、潜在意識を刺激して意識の上にのぼらせてくれるのです。

ここに易の最大の効用があるといっていいでしょう。

 

「マーフィの易い」J.マーフィ(昭和61年、産能大学出版部)