◇自己の内部から聞こえてくる声に耳を傾ける

ある人が友人から飛行機旅行の招待を受けました。大金持のグループで、飛行機をチャーターしてみんなでラスベガスに遊びに行こうというのです。その人はそれまでにも何度

か同じ招待を受けていつも参加していたのですが、別に都合が悪いわけでもないのに、今回はなぜか気乗りがしない。はっきり「行きたくない」と思ったのです。

しかしその根拠、理由が自分でもわからない。「なぜだろう?」そこで彼は易を立ててみることにしました。東洋のこの占いに精通している人物は、迷ったり、悩んだりすると、いつもそうしていたのです。易の回答は「災難」を暗示するものでした。そこで彼はラスベガス行きを断念したのです。

結果はどうだったでしょうか。なんとそのチャーター機は帰途に吹雪に巻き込まれ、ネバダ山中に墜落してしまいました。その人は易の回答によって命拾いをしたわけです。

またこういう例もあります。もう一年近くも娘が行方不明になっていたある婦人が、思いあまって易を立ててみました。易の回答は「大きな川を渡ると良い」というものでした。このメセージを知ったとき、その婦人は娘がロンドンにいると直観したのです。早々ロンドンに飛び、心当たりを探すと、娘さんは見つかったのです。

いずれも易から正しい回答を得ることで、危難をまぬがれ、心労を癒やすことができたわけですが、こういう易の効用も単に偶然だとか、易とは関係のないことと思われる人もいることでしょう。たしかに易によらなくても、旅行を中止することはできるし、行方不明の人間を探し出すこともできたかも知れません。

しかしそうした客観的な解釈は当人たちにとっては何の意味もありません。彼らはそれを易を立てるという行為によって得たのであり、その効用を確信しているからです。

つまり、彼らは自分の行動の指針を易というものによって得た。むろんほかにも方法はいくらでもあります。タロット占いでも、星占 いでも、自己の知識や経験に基づく理性的な判断でも、決断や行動の指針は数え切れないほどある。しかし問題は方法論の優劣ではなく、それをきっかけに「自己の内部から聞こえてくる声に耳を傾けた」こと、こっちのほうがより重要なことなのです。

 

「マーフィの易い」J.マーフィ(昭和61年、産能大学出版部)