◎ ただ、生きること ◎
あなたは何をしたいのですか?どの大学に入りたいのですか?会社は?結婚相手は?……すべては情熱的な答えか、やりがいや名誉、そしてお金などの答えが返ってくるはずであるし、それが正しいと思っていた。そして誰もが「お金ではありません。ただすることだけです」「名誉とかお金ではありません。ただ正しい政治をします」といってもまったく信じてもらえない時代である。
でもこの選手の姿勢、言葉使い、そして目の光り、それが真実であることは私にもはっきりとわかった。人が何かをしようとするとき、その理由はデデイケーションだけで十分なのだ。そして試合に勝つとか、見事なゴールをいれるとかそんなことは問題ではない。
ただバスケットボールをすることだけ、それ以外はなにもない、とその選手の顔には書いてあった。
私は爽やかな気分になり、英語を勉強していたことを忘れ、そしてこの選手の言葉が私の生涯の言葉になった。考えてみれば人間は利己的な生物だが、それでいて何かに身を捧げている時が一番、美しく、楽しく、充実している。それは決して自分のために行動している時ではなく、自分が産んだ子供、自分の教え子、科学、美術、そして社会、自分ではない何かに熱中している時が人間を幸福にする。
自分一人の生活では美味しい朝食を作るのは辛い。朝はボーとして過ごしたい。でも子どもに栄養のあるものを食べさせようと思うと、朝起きるのはなんということはなく、あれほどベッドから起きるのが辛かったのに、それも何ともない。あれも作ってあげたい、これもと思っている内に一刻は過ぎ、そして楽しい朝食の時間になる。
あとで調べたら、その選手の名前はピッペンというそうである。彼が大きな体を折りたたむようにしてインタビューに答えていた時のことが今でも思い浮かぶ。
人間はやがて死ぬ。そのとき「ああ、自分の人生はよかった」と思って死にたい。それは首相になるとか、社長になるとかではない。出世した人、何か大きな発明をしたほとんどの人は不幸である。当時の「世界」を制覇したシーザー、一大帝国を作り上げたナポレオン、転炉による革命的な製鋼法を発明したベッセマー、人類最初の空の旅をしたライト兄弟、そして「翼よ、あれがパリの灯だ」といったチャールズ・リンドバーグ、みんな不幸な最期を遂げる。苦しみと妬み、襲ってくる不運と戦い、失意の内に死ぬ。自らの大きな夢を果たして幸福に死んだ人を捜すのは難しい。
それでは、よい大学を出て、よい会社に入り、裕福な生活をした……それは幸福をもたらすだろうか?もちろん、そのような外形的なことだけで心の満足が得られる訳はない。
息子がぐれてしまった、株で損をした、自分より能力が低いのになぜあいつは出世した……心の中が不満で渦巻いていれば、周囲に贅沢な革張りのソフアがあり、超大型テレビがあっても幸福ではない。
出世とか、豊かさとは関係なく、自分が熱中出来ること、目標となることに巡り会い、愛する人に会い、社会に役立つこと、そしてその充実した時間を過ごすことができれば、人生は豊かになり、生きている幸福を味わい、そして満足するだろう。だから多くの人が熱中出来ること、自分が好きなことを求め、時に「自分探し」をする。
でも本当にそれだけだろうか?このバスケットボールの選手はさらに深い人生を語った。それは、もちろん出世ではない(第一の見かけの幸福)、豊かな生活ができる給料ではない(第二の見かけの幸福)、熱中できる対象を見つけることでもない(第三の見かけの幸福)。普通はそれで最高なのだが、実は違う。
「すること」「生きること」である。バスケットボールをすること、それだけで自分は楽しい時間を過ごす。練習も、試合も、そして結果もその人にとっては何の関係もない。誰のためでもない、社会のためでもない、バスケットボールが価値の高いものだからでもない。ただ、すること、ただ生きること。それだけで人は豊かで幸せになれるのだ。
『武田邦彦の科学的人生論』飯塚書店刊より R080917

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
おてんとうさまの下で
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
#牧正人史 #マシレ予測 #武田邦彦 ♯yymm77

コメント