打たせなかった ――大谷翔平をめぐる、お金では測れないもの 差替版 最後の部分を追加してます。

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打たせなかった ――大谷翔平をめぐる、お金では測れないもの 差替版 最後の部分を追加してます。

打たせなかった
――大谷翔平をめぐる、お金では測れないもの

関連:本物か、確かめた(エリー・デラクルーズという選手のこと)
大谷選手をめぐって、お金では説明のつかないことが起きている。私はそう感じてきました。

ただ、それがどこで起きているのかを、私はしばらく取り違えていたようです。

一、移籍市場の話ではなかった
ネット上に、こういう説が流れています。名だたる選手たちが巨額の契約を捨ててまで大谷選手のもとへ集まろうとしている、というものです。

調べてみると、この説は報道と合いませんでした。

ドジャースがこの三年で獲得した選手たちについて、アメリカの主要メディアはいずれも金と有望株で説明しています。今季加入したタッカー選手もディアス選手もフリーエージェントで、条件面での契約です。スクーバル投手はトレードで来ており、本人は最近、古巣デトロイトへの復帰を望むとまで語っています。

それどころか、もっと厳しい事実があります。今季、ライバル選手たちによる投票で、最優秀選手に選ばれたのは大谷選手ではありませんでした。カブスの若手外野手です。打撃成績がほぼ互角で、大谷選手には投手としての成績もあったにもかかわらず、圧倒的多数でそちらが選ばれています。

同業者が無条件に崇めている、という図式は成り立ちません。 ネットの説は、心地よい物語ではありますが、事実ではありませんでした。

二、しかし、確かに起きている
ところが、別の場所を見ると、確かに何かが起きています。

移籍の交渉ではなく、対戦相手の心のほうです。

三、打席に、立たせなかった
二〇二三年の春季キャンプでのことです。

大谷選手がブルペンに入ると聞きつけたマイク・トラウト選手が、本人に頼みました。打席に立たせてほしい、と。目慣らしのためです。当時、二人はエンゼルスのチームメイトでした。

答えは、ノーでした。

投球を終えたあと、球団広報と雑談していた記者の横を、トラウト選手が苦笑いしながら通り過ぎたそうです。翔平が立たせてくれなかった、と言いながら。

チームメイトです。しかも球界を代表する打者からの頼みです。軽く何球か投げてあげれば、誰も損をしません。それでも断った。

そして数週間後、あの場面が来ます。

WBC決勝、九回二死。一点リードの日本のマウンドに大谷選手が立ち、打席にはアメリカ代表主将のトラウト選手。フルカウントから投じたスライダーで、空振り三振。試合が終わりました。

四、なぜ全力で投げたのか
試合後、大谷選手はその一球についてこう語っています。

誰よりもチームメイトが、人間性も含めて彼の素晴らしさを分かっている。だからベストの球を投げないと抑えられない打者だと思って投げた、と。

手加減しないことが、敬意だった。ブルペンで断ったことも、同じ一本の線の上にあります。
軌道を見せなかったのは、意地悪ではありません。勝負を薄めないためです。相手が本物だと思っているからこそ、材料を渡さない。そして本番では、持っている中でいちばんいい球を投げる。

敗れたトラウト選手は、こう語りました。まさに自分が見たかったものだった、と。楽しい打席だった、フルカウントからの球はえげつなかった、と。

そして、こうも言っています。問題ないよ、今はチームメイトだからね、ハグもした、彼がチームメイトでハッピーだよ、と。

もし手加減されていたら、この言葉は出なかったと思うのです。

五、三年後に効いてきたもの
この話には、続きがあります。

トラウト選手は、二〇一七年のWBCを辞退していました。シーズンを優先したのです。ところがアメリカ代表が優勝し、その歓喜の輪に自分がいなかったことを、後になって悔やみました。それが二〇二三年に出場を決めた理由だったといいます。

そして今年、第六回大会について語ったトラウト選手の言葉が伝えられています。今は多くの人がこの大会の価値を認めている、以前なら参加しなかったような選手も出るようになった、と。

MLBの公式サイトは、あの決勝の幕切れを大会史上最も重大な瞬間のひとつと位置づけ、それが今大会に多くのスター選手が参加を決める動機になったと分析しています。あの球を打てる唯一の人に、その球を投げた、という書き方をしていました。

ひとつの真剣勝負が、三年かけて大会そのものを変えたことになります。

なお、トラウト選手自身は今年二月、出場の意思を示しながら、保険の問題で断念せざるを得なかったことを明かしています。出たかったのだと思います。

六、もう一人
同じ二〇二三年の夏、別の場所でも似たことが起きていました。

エンゼルスタジアムの二塁で、当時二十一歳のエリー・デラクルーズ選手が大谷選手の腕に触れた話です。本物かどうか確かめたかった、と本人が語っています。翌年、彼は日本語を学び始めました。通訳を介さずに話したいから、と。

この件は別稿に詳しく書きましたので、ここでは繰り返しません。ただ一点だけ申し添えます。

デラクルーズ選手は、ドミニカ共和国の出身です。母語はスペイン語で、英語での取材対応を始めたばかりでした。そこから三つ目の言語に手を伸ばしたのは、彼自身の判断です。 誰かに命じられたわけでも、契約のためでもありません。

七、これは何なのか
共通しているのは、負けた側、あるいは敵の側が、その経験を宝物にしているという点です。

トラウト選手は三振に取られました。デラクルーズ選手は相手チームの選手です。どちらも、大谷選手から何かをもらったわけではありません。むしろ、打席を断られ、三振に仕留められた。

それなのに、見たかったものを見たと言い、言葉を学び始めた。

ここに、お金が入る隙間はありません。契約でも年俸でも動かせない場所で、何かが動いています。

私はそれを、勝負を薄めなかったことへの応えだと思っています。

相手を立てるために手加減する。場を丸く収めるために本気を出さない。それらは親切のように見えて、実は相手を低く見ています。大谷選手はそれをしませんでした。ブルペンで断り、本番で最上の球を投げた。その扱われ方をされた人間は、負けても誇りを持てるのです。

結び
私はこれを、日本人の芯にあるものではないかと感じています。

真剣勝負を薄めない。相手を敬うとは、全力でぶつかること。勝ち負けの先に、その一戦を共にした者同士にしか分からないものが残る。剣道でも柔道でも、そう教わってきました。

ただ、それを日本だけのものだと言うつもりはありません。むしろ逆です。

トラウト選手はアメリカ人です。デラクルーズ選手はドミニカ人です。二人とも、教わったわけでも説明されたわけでもなく、あの一球の意味を受け取りました。

日本の芯にあるものかもしれない。けれど、日本だけのものではなかった。それが通じたということの意味は、そちらにあるのだと思います。
本来、日本人はもっと開かれた人生観を持っていたはずだと私は思っています。おてんとうさまは、誰の上にも等しく昇ります。国の内側に囲い込んで誇るものではなく、外へ出して通じたときにこそ、その値打ちが分かる。

大谷選手が世界中の人の心をつかんでいることこそが、日本人らしさの証しなのではないでしょうか。

ですから、私が願うのは記録の更新ではありません。あの人が長く元気で野球を続け、これからも同じことを世界に見せ続けてくれること。それだけです。


追記 令和八年九月九日
「野球という普遍の言語」
本稿を書き終えたあとで、書き落としていた場面があることに気づきました。付け加えておきます。

令和七年七月二十八日、シンシナティでのレッズ戦です。五回、大谷選手が左中間へ勝ち越しの二点適時二塁打を放って二塁に立ちました。

そこへ、遊撃を守っていたデラクルーズ選手が近寄っていきます。自分のチームが勝ち越された直後です。それでも「いいヒットだったね」などと声をかけ、二人はしばらく笑顔で言葉を交わしました。

この場面が、大リーグ機構の公式映像として配信され、広く出回りました。今も折にふれて流れてきます。

ここで書き留めておきたいのは、二人のやり取りそのものよりも、それを見ていた人の言葉のほうです。

中継していたドジャースの実況アナウンサー、ジョー・デービスさんが、その場でこう言いました。ドミニカ共和国で育ちスペイン語を話していた若者が、努力して英語を身につけ、日本から来た男と語り合っている。なんと素晴らしいことか、と。

そして、こう続けました。――野球という、普遍の言語。
本稿で私は、日本の芯にあるものかもしれないが日本だけのものではなかった、と書きました。トラウト選手もデラクルーズ選手も、教わったわけではないのにあの一球の意味を受け取った、と。

その場面に名前をつけたのが、アメリカ人の実況者だったわけです。

日本人が「これは日本の心だ」と主張したのではありません。外から見ていた人が、その場で「普遍」と呼んだ。 普遍というのは、本来そういうふうに決まるものなのだと思います。内側から名乗るものではなく、外から呼ばれて初めてそうなる。

おてんとうさまの下で、という言葉を私は自分の場所の名前にしています。誰の上にも等しく昇るという意味です。あの日ロサンゼルスの放送席から出た言葉は、それとほとんど同じことを言っていたように思うのです。


※本稿は、日本経済新聞、テレビ東京、MLB公式サイト、および各通信社の報道に基づいて記しています。追記の部分は令和七年七月二十九日の東京スポーツおよび米スポーツ・イラストレイテッドの報道、ならびに大リーグ機構の公式映像によります。ブルペンでの経緯は日本経済新聞の記者による現場取材の記述によります。選手の心情に関する記述は、本人が公の場で語った言葉の範囲にとどめました。

この記事の原本(更新はこちらが先です)

打たせなかった | 記録

#牧正人史 #マシレ予測 #yymm77 #おてんとうさまの下で #大谷翔平 #トラウト #デラクルーズ #WBC
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