まだ、休ませてよい ――大谷翔平選手の休養をめぐって(四・完)

四回にわたって同じ主題を書いてきました。最後に、なぜ私がまだ休ませるべきだと考えるのか、その理由を数字だけで示します。そして最後の節で、私と同じ結論を語る材料を手にしながら、それを使わないと決めた話を書きます。
結果は三打数無安打一四球、二三振。チームは六対三で勝ちました。
試合後、ロバーツ監督はこう述べています。今日は無事に終えることができた。打席の内容は特に書き立てるようなものではなかったが、心配になるようなこともなかった。四日間休んで出てきて、状態を悪化させずに終えられた。それだけでも十分に良いことだと思う、と。
そしてもう一言、こう続けました。明日、本人がどう感じているかを見たい。
この一言が、私にはいちばん重く聞こえました。指揮官自身が、まだ様子を見ているのです。復帰したから終わり、ではない。翌朝の体を確かめてから次を決める、という段階に今もいるわけです。
復帰戦の前までの十二試合を見ると、四十九打数六安打。打率にして一割二分二厘。三振は十九、打点はゼロです。復帰戦でもそこに二三振が加わり、打点はゼロのままでした。
この数字を「衰え」と読む声があります。私はそう思いません。ひと月前まで三十本を打っていた打者が、ひと月で衰えることはないからです。
読むべきは、別のことだと思います。四日間の休養では、まだ何も戻っていない。 それだけのことではないでしょうか。
第二稿で私は、休養が四日で足りたのかどうかは十月にならないと分からないと書きました。その判定が、少し早く来てしまった気がしています。戻った初日に打てないのは当たり前だとしても、監督が翌朝の体を気にしている状態で毎日一番に立たせるのは、話が別です。
ドジャースは現在、八十七勝五十七敗。二位のアリゾナが七十七勝六十八敗ですから、その差は十ゲーム半あります。優勝までのマジックナンバーは八。残り試合は十八です。
第一稿を書いた九月三日の時点では、八ゲーム差でした。大谷選手が休んだ四試合を含む五連勝のあいだに、差はむしろ広がったのです。
私は後者です。そして、この二つはまるで違います。前者は選手の価値を下げる言い方であり、後者はチームの厚みを認める言い方です。四試合を勝ち切った控えの選手たちに敬意を払うなら、後者しかないと思います。
十ゲーム半の余裕。マジック八。残り十八試合。これほど安心して休ませられる時期が、ほかにあるでしょうか。 ポストシーズンが始まれば、一日も休めません。休ませられるのは、今しかないのです。
最も打席が回る打順です。それは同時に、最も消耗する打順でもあります。膝と首に不安を抱えて五試合ぶりに戻った選手を、いきなりそこへ置く必要が、今あるのでしょうか。
監督の考えは分かるつもりです。打順を下げれば、本人が自分の立場を疑う。いつもの場所へ戻して、いつもの準備で打席に入らせる。そこには配慮があります。
それでも私は思うのです。あの選手は、頼めば必ず出ます。 痛いとは言いません。四日間の欠場でさえ、周りが決めたことでした。言わないと分かっているなら、言わせる前に下ろしてやるのが、周囲の仕事ではないでしょうか。
直すべきは打撃ではなく、毎日どう立たせるかという一点だと思います。
実は今日、私はもうひとつの動画の書き起こしを手にしました。そこでは、私とまったく同じ結論が語られていました。今の大谷選手に必要なのは打撃の立て直しではなく休養だ、直すべきは起用法だ、と。
数字も確かめました。打率一割二分、六十四打席、三振二十一、打点ゼロ。いずれも正確でした。 第三稿で扱った動画は数字がずれていましたが、今回のものは合っている。私の主張を裏づける材料として、これ以上のものはありません。
それでも、使わないことにしました。
あの書き起こしは、実在の四人の選手と元選手に、長い談話を語らせる形式でした。しかし、それがいつどこで行われた取材なのか、どこにも示されていません。そして決定的なのは、途中で人物が入れ替わることです。通算六百九十六本塁打の元選手として紹介された人物が、談話の半ばから、別の元選手の経歴を自分のこととして語り始めます。通算本数も、現役時代の出来事も、まるきり別人のものです。
つまりこれは、実在の人物の名を借りた創作です。 生きている方が言っていない言葉を、その方の名前で流している。前の二本は推測を断定の形で語るものでしたが、これは一段深いところにあります。
そして、いちばん怖いのはここです。数字が正確だったから、信じそうになりました。 細部が合っていると、全体まで正しく見えてくる。しかも語られている結論が、自分の考えと同じでした。都合がよく、裏づけもあるように見える。これほど飲み込みやすい材料はありません。
もし引用していれば、私の主張には重みが加わったでしょう。あの選手も、あの元選手もこう言っている、と書けたのですから。けれど、その重みは借り物です。しかも、借りた相手は貸した覚えがない。
自分の考えと同じことを言っているからといって、確かめずに使ってよい理由にはならない。むしろ、同じことを言っている材料ほど、厳しく確かめなければならないのだと思います。 反対意見なら、人は自然と粗を探します。賛成意見には、それをしません。
そのうえで、もう一度申し上げます。まだ、休ませてよいと思います。
十ゲーム半の余裕がある。マジックは八。残りは十八試合。四試合休ませても勝てることは、もう証明されました。そして監督自身が、翌朝の体を気にしている。材料は揃っていると思うのです。
一試合の一番と、十月の一本。どちらが重いかを比べるまでもありません。
ここまで四回も書いてしまった理由を、最後に申し上げておきます。
私にとって大谷選手は、日本人の誇りであり、鏡です。多くの日本人があの方を師と仰ぎ、その姿を通して自分の人生を振り返り、そして自分の持ち場を懸命に生きている。私もその一人です。あの方を見ていると、勇気が湧いてくる。七十を過ぎた人間にも、そういうことは起こるのです。
もっとも、誇りだから内に囲い込みたいわけではありません。本来の日本人というのは、もっと開かれた人生観を持っていたはずだと私は思っています。おてんとうさまは、誰の上にも等しく昇る。あの方が世界中の人の心をつかんでいることこそ、日本人らしさの証しなのではないでしょうか。
だからこそ、願いは一年では収まりません。
大谷選手は、ワールドシリーズを獲ると言いました。私が願っているのは、その先です。ドジャースで十年、いや、それ以上働いてほしい。 世界中の人の心をつかみ続けてほしい。そのために、今年の九月に休んでほしいのです。
順序が逆に見えるかもしれません。しかし、十年見ていたいと思うから、今日休んでほしいと書いている。この連載で私が申し上げてきたことは、突き詰めればそれだけです。
そして、もうひとつ思うのです。あの方を師と仰ぐ人がこれほど多いのなら、休む姿もまた、見られている。 痛みを抱えたまま出続ける姿より、退くべきときに退く姿のほうが、多くの人を救うことがあるはずです。無理を重ねている人が、この国にはたくさんいるからです。
休むことは、弱さではない。第一稿にそう書きました。それを世界へ示せる立場にいる人は、そう多くありません。
十月に、あの本来のスイングを見せていただきたい。そして来年も、その先の十年も。四回とも、願いは同じです。

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