現場から見た政策の乖離― 鉄スクラップ危機と、いま問われるべき全面的見直し

講演録|ものづくりの現場から
現場から見た政策の乖離
― 鉄スクラップ危機と、いま問われるべき全面的見直し
加藤康子先生(内閣官房参与)講演より 2028年、日本の町工場は原料を買えなくなるかもしれない
加藤 康子(かとう こうこ)先生
産業遺産国民会議 専務理事/産業遺産情報センター長/内閣官房参与。慶應義塾大学文学部卒業。「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録に中心的役割を果たされ、以後も日本の産業基盤と製造現場の現実を一貫して見つめてこられた。
本稿は講演を筆記し、記事として再構成したものである。文責はすべて筆記者にある。数値・事実関係は講演で示されたものに拠るが、要約の過程で生じた不正確があれば、それは筆記者の責任である。
数字は、思想を持たない。ただ、事実を映すだけである。だからこそ、いま私たちが見るべきなのは、誰かの善意でも悪意でもなく、積み上がった数字が指し示す一つの方向ではないか。
一、はじめに
先日、加藤康子先生の講演を伺う機会をいただいた。主題は、脱炭素政策が日本の産業にもたらす弊害である。
正直に申し上げれば、私はそれまで、鉄スクラップという資源が日本の産業にとってこれほど死活的な意味を持つとは、十分に理解していなかった。脱炭素、再生可能エネルギー、電炉転換。こうした言葉は、新聞やテレビでは常に前向きな響きを伴って語られる。しかしその言葉の下で、町工場の主人たちが何を見ているのか。その落差の大きさに、私は言葉を失ったのである。
以下、講演の要旨を、私なりに整理して記す。
二、「グリーン鉄」という名の連鎖
まず、日本がいま進めている道筋である。
第7次エネルギー基本計画において、日本は再生可能エネルギー比率を約4割まで高める方針を掲げている。世界では原子力・火力・石炭火力を含めて十分なエネルギーを確保する「エネルギー・ドミナンス」の考え方が主流になりつつある中で、日本は脱炭素路線を独自に加速させている──先生はそう指摘された。
その延長線上にあるのが、鉄鋼業における高炉から電炉への転換である。二酸化炭素を多量に排出する高炉を、次世代革新炉と位置づけられる電炉へ置き換える。当然、原料も鉄鉱石から鉄スクラップへと入れ替わる。
JFEスチール/最短で2年後、倉敷工場の高炉1基を電炉へ転換。必要となる鉄スクラップは約200万トン。
日本製鉄/広畑、周南など3拠点で次世代革新炉を新設。約290万トンの需要。
合計して、2028年に国内で発生する新規需要は490万トン。
従来、電炉材の用途は建材やH形鋼、鉄筋が中心であった。しかし大手メーカーは、良質な鉄スクラップと一部の還元鉄を用いて、自動車用鋼板の製造まで視野に入れているという。つまり、これまで町工場が使っていた良質な原料の領域に、大手が正面から入ってくることになる。
三、原料争奪戦は、すでに始まっている
日本は現在、ベトナムなどへ年間680万~700万トンの鉄スクラップを輸出している。この数字を見て「余っているではないか」と思われるかもしれない。しかし話はそう単純ではない、と先生は言われた。
鉄スクラップは、防衛装備品、銅線などの鋳物、半導体製造装置、ロボットアーム──日本の多様なものづくりを足元から支える原資である。そしてロシアや中国はすでに禁輸措置を講じ、欧州でも囲い込みが進んでいる。主要な輸出国は、実質的に日本とアメリカ程度になってしまった。
もしこの輸出分を国内の大手メーカーが買い戻せばどうなるか。国内で440万台、輸出を含めれば約1,000万台を生産する自動車のエンジン部品、あるいは船舶鋳物をつくる町工場との間で、激烈な原料争奪戦が起きる。経済産業省金属課の試算でも、還元鉄を3割使用したと仮定してなお、国内では約350万トンの鉄スクラップが不足するとされている。
四、数字が語る、現場の限界
講演の中で示された、町工場の経営者が日々向き合っている数字を並べてみたい。
鉄スクラップ価格/1トン当たり2万円 → 6万円(約3倍)
電気代/東日本大震災以降、約2.5倍
ガス代/約2倍
人件費/約2.5倍
電気、ガス、人件費がすでに二倍から二倍半に膨らんだ上に、原料費までが三倍になる。この負担を、どこかで吸収できるだろうか。製品価格へ転嫁するほかに道はなく、その瞬間に中国や韓国に対する価格競争力は失われる。
これは一部の業種の話ではない。自動車産業の鋳造・鍛造をはじめ、農機具、産業機械、ロボット、造船。日本の製造業全体にとっての死活問題である。
そして忘れてはならないのが、国土強靱化との関係である。供用開始から40年を超えた上下水道管は全体の23~25%に達し、更新率を現在の0.6%から引き上げる必要がある。この更新事業もまた、鉄という資源の上に成り立っている。産業と国土保全が、同じ一つの資源を奪い合う構図になりつつあるのではないか。
五、「代替策」の現実
むろん、対策が何も講じられていないわけではない。
環境省が知多半島で支援する日本郵船の船舶解体事業は、年間20隻を目標としている。しかし9,000トン級のタンカーを一隻解体しても、回収できる鉄スクラップは約85%。年間の確保量は約30万トンにとどまる。不足分350万トンに対して、一割にも届かない。
古い水道管の再利用も検討されている。だがここに、現場でなければ見えない壁があると先生は指摘された。
マンガンなどの不純物を含む鉄スクラップにも対応できるのは、キュポラ(溶銑炉)を使う従来型の鋳物工場である。ところが脱炭素政策に応えて高周波誘導炉へ転換した工場は、高品質な鉄スクラップでなければ操業できない。
つまり──政策に忠実に従って設備を更新した工場ほど、大手メーカーとの原料競合を避けられなくなる。真面目に対応した者が、より苦しくなる。この構造を、政策設計の段階で誰かが想定していたのだろうか。
六、1858年以前へ戻るのか
産業革命の原点は、木炭から石炭への転換であった。人類はより効率の高いエネルギーへ移ることで、生産力を飛躍させてきた。それにもかかわらず、いま進められている脱炭素至上主義は、「1858年以前の技術」へ逆行するかのようでもある。生産効率を下げ、コストを押し上げる。現実性を欠いた政策ではないか──これが先生の見立てである。
加えて、脱化石燃料と電動化が進めば進むほど、レアアースメタルやレアアースマグネットへの依存は一段と高まる。内燃機関からEVへの性急な転換は、中国を中心とする電池サプライチェーンへの依存を深め、経済安全保障上のリスクを内包する。再エネ賦課金による電気料金の上昇がドイツやイギリスの産業競争力を直撃したことは、すでに他国が示してくれた実例である。
環境コストは政府が一定程度負担し、官民一体で対応すべきものであって、現場に丸投げしてよいものではない。この点は、講演の中でも繰り返し強調されていた。
七、リスペクトという、目に見えない資源
もう一つ、数字にならない問題がある。
山口県宇部市の共英製鋼のように、産廃事業から環境リサイクル、製鋼までを手がけ、若手人材の採用が進んでいる企業もある。一方で、クボタのような大手でさえ若手の確保に苦慮するという声を聞く。
住宅地に立地するスクラップヤードは、しばしば産業廃棄物施設と混同される。だがそこは、日本のものづくりに原料を供給する最前線である。製造現場で働く人々へのリスペクトを社会全体で醸成すること。これは補助金では買えない、しかし補助金より重い基盤ではないか。
なお、経済産業省もまた強い危機感を共有していると聞く。製造産業局の各課を横断し、国土交通省海事局、国土強靱化を担う水道部局等との勉強会を立ち上げ、成長戦略の横軸に「鋳造・鍛造」「鉄スクラップ」を位置づけたという。GXの枠組みの中でも、キュポラ設備の更新に対する補助金やデュアルユース支援など、現場ニーズを踏まえた制度整備が進みつつある。先生ご自身も、参与就任にあたって「再生可能エネルギーやEVには反対であり、持論を曲げるつもりはない」と明言され、「ものづくり」を使命として一貫して取り組んでこられた。
ここまでが、加藤康子先生の講演で示された内容の要旨である。
以下は、講演を伺った私自身の受け止めと考えであり、先生のご見解ではない。
八、全面的な見直しを求める
省庁が動き始めていること自体は、評価すべきであろう。しかし、と私は思う。個別の補助金で穴を塞ぐ段階は、もう過ぎているのではないか。
問われているのは、次の三点ではないだろうか。
第一に、時間軸の見直し。JFEスチールの電炉が稼働する2年後には、この問題は本格化する。制度設計が現実に追いつく猶予は、もう残されていない。転換のスケジュールそのものを、原料需給の裏付けと突き合わせて再検証すべきである。
第二に、資源の総量管理。鉄スクラップを単なる市況商品としてではなく、防衛・産業・国土強靱化を支える戦略資源として位置づけ、輸出と国内供給のバランスを国家として設計し直す必要がある。ロシアも中国も欧州も、すでにそうしている。
第三に、政策の前提の再点検。再エネ比率4割、EVへの転換、電炉化。これらは互いに独立した政策ではなく、一本の連鎖として国内製造業の足元に効いてくる。各省庁が個別に最適化するのではなく、「日本のものづくりを維持できるか」という一点から、全面的に見直すべきときではないか。
私は、誰かが悪意をもって日本を弱らせようとしている、と断じるつもりはない。国際的なルール形成の場で各国が自国の強みを軸に制度を設計するのは、むしろ当然の営みである。
問題はそこではない。他国がそうする中で、日本が自国の現場を守る設計を怠ってきたこと。そちらのほうが、はるかに厳しい問いではないだろうか。
日本の基本は「ものづくり」である。官民一体となって生産コストの低減を進め、製造業の国産化を支えていく。町工場が淘汰されないための精緻な制度設計と、現場へのリスペクトに根ざした柔軟な経済産業政策。それを実行できるかどうかに、この国の次の三十年がかかっていると、私は感じている。
2028年は、もう目の前である。
生かされて今を存在する
三原嘉明
本記事は UCA(Universal Creative Attribution)の理念に基づき公開しています。
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