第五章・いのちの時代 連載第百四十七話 旭山桜

Uncategorized

第五章・いのちの時代 連載第百四十七話 旭山桜

第 五 章 ・ い の ち の 時 代
連載第百四十七話「旭山桜」
東府中の施設のことを、もう少し書いておきたい。
問題を抱えていないわけではなかった。どんな職場もそうであるように、不満を言い出せばきりがない。それでも、あの施設の水準は非常に高いものであったと、彼は今も思っている。そこで働く介護職員の質が高かった。働いていて、満足度の高い場所であった。
基本は、ただ一つである。ご利用者様のために。すべての仕事が、そこへ向けられていた。
訪問介護の施設でありながら、訪問という言葉で片付けられるようなところではなかった。医療処置にもかなり踏み込んだ、優れた施設であった。入居者数でいえば、大きな施設の数分の一にすぎない。その規模で、あれだけのことをしていた。
備えということについて、ここで書いておきたいことがある。
人は年とともに、必ず年を取る。当たり前のことのようだが、施設を考えるときには、この当たり前が要になる。年を取れば、確率的に一定の割合で認知症を発症する。入所した当初は健常であっても、一年後、二年後にそうであるとは限らない。歩いて入った人が、やがて歩けなくなることもある。
だから、そのための準備が設備として要る。とりわけ風呂場に、それは顕著に表れる。特浴と呼ばれる寝台式の入浴装置がなければ、寝たきりになった方をどうやって湯に入れるのか。これは致命的な欠陥の一つである。どれほど大きく立派な建物であっても、そこが欠けていれば、入居者は年を取ることを許されないことになる。
施設を選ぶ立場の方には、風呂場を見せてもらうことを勧めたい。今の自分ではなく、五年後の自分が入れるかどうかを見るのである。
職員には、高齢の方もいらした。といっても、彼自身が六十三で入職しているのだから、人のことは言えない。若い介護職員も多かった。
こういう職場の特徴として、全員が揃うということは、まずありえない。必ず、夜勤者が出る。年中無休という仕事は、世の中にそれなりに多いのである。警察、消防、自衛官、宿泊施設、そして福祉施設。誰かが起きているから、誰かが眠れる。
飲めば、皆、明るかった。カラオケの上手な人が多かった。
今でも、そこで知り合った数名とつながりがある。このTSD研究所に働きに来ている方もいる。一人は、その後ほかの介護施設に移り、そこで今も介護職員をしている男性。もう一人は、ヘルパーと施設の保全を担当していた男性で、彼は特に庭いじりが好きだった。施設の周囲の草むしりから、プランターの世話まで。緑に囲まれたあの施設の景色は、この人の手が作っていたようなものである。人当たりが柔らかく、誰からも好かれた人であった。
最後に、一人の入居者様のことを書いて、この施設の話を閉じたい。
買い物のお付き添いで、その方と出かけたときのことである。近くの植木屋さんの軒先に、旭山桜の苗が売られていた。その方が、それをお買いになった。
部屋に戻って、ご自分で体裁を整えられた。白い鉢に据え、根元に苔をあしらい、白い砂利を敷いて。盆栽と呼ぶには気取らない、けれど手のかかった一鉢になった。
やがて、花が咲いた。八重の、淡い桃色の花である。
本当は、それを彼にくださるということであった。丁重にお断りを申し上げた。理由を並べるまでもなく、そういう立場である。
代わりに、写真を撮らせていただいた。部屋に飾ってあったものを廊下に出し、窓の明かりのなかで一枚。あの写真は、今も手元にある。
歳月を経た今、振り返って、思う。
生かされて、今を、存在する。あのとき受け取らなかったことが正しかったのかどうか、彼にはいまだに分からない。ただ、受け取らなかったからこそ、あの一鉢は誰のものにもならず、写真のなかで咲きつづけているのだとも思う。
六十三で入り、いくつもの別れを見た場所を離れるとき、自分は桜に見送られたのだと、今も、自分は、確かに、覚えている。

【無料】牧正人史式 姓名科学 解析システム


#牧正人史 #マシレ予測 #至誠の覚醒 #姓名科学

コメント

ハウスワークサービス多摩店をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む

タイトルとURLをコピーしました