第五章・いのちの時代 連載第百二十二話 おくりびと
人は、どのように、最期を、迎えるのか。
何度も、看取るうちに、彼には、その、おおよその、形が、見えてきた。
まず——数日前から、食事が、できなくなる。それまで、口にしていた、ものを、受けつけなくなる。無理に、すすめても、入らない。おそらく、体が、自然と、もう、新しい、養分を、取り込むことを、やめるのだろう。生きることを、静かに、手放す、その、はじまりだった。
そして——やがて、下顎呼吸が、始まる。
あごを、上下に、動かして、息を、する。それが、見られると、もう、ほどなくだった。その呼吸が、だんだんと、間遠に、なり——やがて、ふっと、止まる。苦しむでもなく、もがくでもなく。多くの方が、ただ、静かに、最期を、迎えていった。枯れた木が、葉を、落とすように。いのちが、自然の、摂理に、したがって、終いへと、向かっていく。それを、彼は、何度も、傍で、見届けた。
そして——息を、引き取られた、あと。親族が、引き取りに、見える、その前に。彼ら、介護職員が、行うことが、あった。
エンゼルケア、と、呼ばれていた。
決まった、マニュアルが、あるわけでは、ない。けれど、おおよそ、することは、決まっていた。鼻孔や、口中に、そっと、綿を、詰める。用意してある、浴衣を、着せる。そして、体を、清拭する。冷たくなった、その体を、温かい、手で、丁寧に、拭き清める。
それは——医療の、処置でありながら、その奥は、もっと、深いものだった。
亡くなった、その方への、最後の、敬い。この世での、つとめを、終えた人を、きれいに、整えて、あの世へ、送り出す。長く、生きて、荒波を、越えて、この施設に、たどり着き、そして、逝かれた、その人を。彼は、一つひとつの、動きに、心を、込めた。お疲れさまでした、と。どうか、安らかに、と。それは、業務という、よりも、祈りに、近かった。
歳月を経た今、振り返って、思う。
彼は——たくさんの、人を、送ってきた。この特養だけで、その数は、百を、超えただろう。けれど、その、最初の、見送りは——ずっと、昔の、自宅での、ことだった。先妻を、彼は、自らの、手で、看取った。あの、三時四十六分。愛する人の、最期を、この手で、受け止めた、あの経験。
あの日が、なければ——彼は、これほど、深く、見知らぬ方々を、送り出すことは、できなかったかもしれない。最も、愛する人の、死を、知っていたからこそ、見知らぬ、お年寄りの、最期にも、心を、込められた。一人ひとりの、その向こうに、誰かの、愛する人が、いることを、彼は、知っていた。先妻を、送った、その手が、何十年も、経って、たくさんの、いのちを、送る、手に、なっていた。
人は、いつか、必ず、おくられる。そして、誰かが、その人を、おくる。彼は、その、おくる側に、立ち続けた。冷たくなった、体を、温かい、手で、清めながら。どうか、安らかに、と、祈りながら。それが、彼の、いのちの時代の、いちばん、静かな、つとめだった。
生かされて、今を、存在する。
食を断ち、下顎呼吸を経て、静かに逝かれていった方々と、その体を温かい手で清め、浴衣を着せて、あの世へ送り出した、あの祈りのような時間を、今も、自分は、確かに、覚えている。
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