第四章・覚醒の時代 連載第九十七話 よそ者

暮らしは、穏やかだった。けれど、仕事は、そうでは、なかった。
彼が、勤めたのは、博多の、あるホテルだった。和食の店、中華の店、料理店、それに、土地の、遊技場。彼は、それらの、運営や、立て直しに、携わった。働くこと自体は、嫌いでは、なかった。むしろ、新しい土地で、新しい仕事に、向き合うのは、面白くも、あった。
けれど、その組織は——内側から、静かに、蝕まれていた。
あるとき、彼は、ひとつの、ほころびに、気づいた。
催しの、ための、仕入れが、なぜか、思うように、進まない。理由が、はっきりしない。彼は、調べた。表向きの説明では、納得が、いかなかったからだ。調べていくと、ある現場の責任者が、店のものを、自分の利益のために、横へ、流していた。それは、見過ごせない、不正だった。
彼は、まっすぐに、上へ、報告した。
当然のことだ、と、彼は、思っていた。組織を、守るために。間違いを、正すために。それが、雇われた者の、務めだと、信じていた。
けれど、返ってきたのは——「そんなはずは、ない」という、一言だった。
報告は、握りつぶされた。それどころか、彼の周りで、別の、声が、ささやかれ始めた。余計なことを、する、よそ者がいる、と。波風を、立てる、東京者がいる、と。
よそ者。
彼は、その言葉を、背中で、聞いた。
不正を、正そうとした者が、疎まれる。不正を、見て見ぬふりをする者が、守られる。組織の、上に立つ人は、取り巻きに、囲まれて、本当のことが、耳に、入らない。裸の王様の、まわりで、誰もが、口を、つぐむ。あるいは、笑いながら、その王様を、食い物に、していた。
彼を、教育する、立場にあった、役員さえ、そうだった。多くを、知りながら、上には、何も、言わない。のちに、調べて、わかったことだが——その人物が、語っていた、経歴すら、偽りだった。嘘で、塗り固められた人々が、寄ってたかって、ひとつの組織を、食い物にしていた。それが、彼の、見た、実態だった。
やがて、彼を、遠くへ、移そう、という話が、持ち上がった。
それが、きっかけだった。彼は、福岡を、去ることを、決める。来たときと、同じだ。退路は、自分で、断つしか、なかった。ただ、来たときと、違ったのは——今度は、追われるように、して、だった、ということだ。
四十年後の今、振り返って、思う。
あのとき、彼は、間違ったことを、したのだろうか。否、と、彼は、思う。まっすぐに、報告したことを、彼は、悔いていない。けれど、まっすぐであることは、組織の中では、時に、罪になる。正しさが、煙たがられる。その、苦い味を、彼は、福岡で、初めて、知った。
そして、これは、後の人生で、繰り返し、突きつけられることになる。小さな組織の、ほころびも、大きな国の、ほころびも、その、構造は、驚くほど、似ている。見て見ぬふりをする者が、生き延び、声を上げる者が、弾かれる。彼が、やがて、大きな歴史の、闇を、見つめることになる——その目の、最初の訓練が、この、博多のホテルの、一件だったのかもしれない。
生かされて、今を、存在する。
不正を見て、まっすぐに報告し、「よそ者」と呼ばれて、福岡を去ることになった、あの苦い一件を、四十年後の今、自分は、確かに、覚えている。
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