連載:至誠の覚醒 第三十四話 金城庵のそば
ゼミには、役割があった。
研究会の運営担当、名簿担当、資料準備担当。学生たちが分担して、ゼミを動かした。先生が仕切るのではない。学生が回す。先輩から後輩へ、やり方が引き継がれていく。一年上の先輩たちと交流しながら、仕事を覚えた。
今から思えば、先生はそうやって一人一人を見ていたのだと思う。
授業の成績だけでは、人間はわからない。仕事を任せてみると、わかる。段取りができるか。責任を取れるか。人と動けるか。田中ゼミの卒業生が商学部でもトップクラスの就職率を誇っていたのは、そういうことだったのだと思う。
優秀な学生には、先生が推薦状を書いた。企業への紹介状だった。先生の一筆が、扉を開いた。
私はゼミを卒業してから十五年ほど、名簿と会報の担当を続けた。なぜそうなったのか、経緯は判然としない。ただ、任じられたから続けた。それだけだったと思う。記憶が曖昧な部分も多く、当時のゼミ仲間が読んだら、それは違う、と怒られるかもしれない。ご容赦いただきたい。
ゼミが終わると、金城庵へ行った。
今もある蕎麦屋だ。先生にごちそうになった。ゼミの緊張が解けて、先生が少し柔らかくなる時間だった。蕎麦をすすりながら、他愛もない話をした。その時間が、妙に記憶に残っている。
先生はメーカーを推奨する人だった。
金融やマスコミには、どこかうさん臭さを感じていたのだと思う。物を作る仕事、形のあるものに携わる仕事。そこに先生は、本質を見ていたのだと思う。数字で世界を読む人が、数字だけを扱う仕事を勧めなかった。それは矛盾ではなく、一貫していた。
私は日産自動車へ入った。
メーカーだった。先生の言葉が、どこかに響いていたのかもしれない。意識していたわけではない。しかし今思えば、田中ゼミで育てられた何かが、その選択に影響していた気がする。
金城庵の蕎麦の味を、今も覚えている。
(つづく)R080412

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【無料】牧正人史式 姓名科学 解析システム
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
#牧正人史 #マシレ予測 #姓名科学


コメント