過去およそ二〇〇〇年間の気温変動

温度計の出現は一七世紀ごろなので、それより古い時期の気温は、古文書や絵画など、間接証拠をもとに推定されてきました。当然ながら一九世紀以前の気温変化は、CO2の排出とは関係ない自然変動に決まっています。

●小氷期(一三五〇~一八五〇年ごろ)
冬のロンドンでテムズ川が凍り、厚み三〇センチメートル以上の氷上で冬祭りを開催した……と古文書や絵画が伝えます。一六九三年に欧州を見舞った大凶作は、数百万の死者を出したそうです。
江戸期の日本では、富士山(一七〇七年)と浅間山(一七八三年)の大噴火も気温を下げたでしょうけれど、凶作や飢饉が多発しました。さまざまな知見から、小氷期がピークだったころの気温は、いまより一℃くらい低かったと推定されています。

●中世温暖期(九〇〇~一三〇〇年ごろ)
気温が現在より〇・五~一・〇℃は高かったと思える時期です。いちばん名高いのは、グリーンランド(緑なす島)の発見と入植(農業の開始)でしょう。いまは「ホワイトランド」になっている同地の永久凍土を掘れば、バイキングの住居跡や墓地が出てきます。
日本では一〇八七~一一八九年の約一〇〇年間、岩手県の平泉を中心に奥州藤原氏が栄えました。当時の繋栄基盤は、コメの収量ですね。化学肥料も品種のバラエティもない時代だから、水利と日照条件のほか、高い気温もプラスに働いたのでしょう。

クライメートゲート事件2
国連IPCC(ウソ8)の関係者には、「人間の出すCO2が地球を暖めている」という教義の死守が絶対でした(ウソ2・9)。現在より高温の時代があっては困るわけです。たとえば過去二〇〇〇年なら、ほぼ横ばいで推移してきた気温が二〇世紀の後半に急上昇する姿、ホッケースティック形のグラフをつくりたい。目障りな中世温暖期は「なかったことに」し、ほかの手入れもしなければならぬ……。
そんなやりとりを、二〇〇九年秋のクライメートゲート事件が暴いたのです。彼らの遺伝子はどうやら現在のIPCC関係者にも受け継がれ、二〇二一年八月発表の第六次報告書には、いっとき消えていたホッケースティックが、復活を果たしています。★ それもあって私自身、関係者に知人もいるとはいえ、IPCC報告書の内容を信じる気にはなれません。

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中世寒冷期(四~八世紀)

世界全体が寒い時代だったようです。ヨーロッパでは、北方に住んでいたゲルマン民族が(たぶん)寒さを嫌って南下し(民族大移動)、それが西ローマ帝国滅亡(四七六年)の一因になりました。
同じころ(六〇〇~七五〇年)の日本を古墳寒冷期と呼びます。古墳時代・飛鳥時代の四~七世紀には、やはり寒さを逃れてか、朝鮮半島から数十万人が南下(日本へ移住)しました。
京都の太秦に定住した人々だけで数万人に のぼったといわれます。

ローマ温暖期(紀元前二五〇~紀元四〇〇年ごろ)
ヨーロッパと中東で古代ローマ帝国(紀元前二七~紀元四七六年)、中国で漢王朝(紀元前二〇六~紀元二二〇年)が栄えた時代。
むろん気温以外の要因も効いたのでしょうけれど、なんといっても、暖かくて食糧を生産しやすいところが利点だったと思えます。
その意味でも、三〇年間で体感すれすれの〇・二~〇・三℃にすぎない昨今の温暖化(ウソ2)を気にする方々の心中は、さっぱり理解できません。

以上をまとめると過去二〇〇〇年間には、数百年ごとに、温暖期と寒冷期が交替しました。
一七〇年前に始まった温暖期の最終段階が現在だとすれば、いずれ寒冷化モードに切り替わる。
私はこの世にいないでしょうが、食糧不足が起こらないよう祈っています。
数千年~一万年前も、日本の海面を数メートル上げた縄文海進(完新世の気候最適期)とか、大気にCO2が増え続けながら地球の気温は下がり続けたとか、話題の多い時期ですけれど、紙幅の都合で省略し、本章の最後に、もっと古い時代を振り返ります。

気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)