日本の電気料金が高い理由は、原発に関係ないことがわかりました。だって、「コストが安い」と言っている原発が54基もあるのに、アメリカの倍の電気料金なのですから。
では、何が理由なのでしょう。です。競争がないから安くいちばん大きな理由は、「独占」ならない、というわけです。携帯電話を思い浮かべたら、わかりやすいですね。携帯では、ドコモやau、ソフトバンクと、いろいろな会社がシェアで争っています。競争に勝つために、サービスの向上や、無料サービスや値引きということを熱心にやっています。もし、携帯電話会社が1社だったらどうなるでしょう?
先にお話しした通り、電気が入ってきた明治時代、電力会社は独占企業ではありませんでした。それが戦時下に、国家が統制しやすいように「地域独占体制」にしてしまいました。戦争は終わったのですから、本来は、自由競争に戻すのが普通なのですが、電力会社も政府も、独占の利権を知ってしまいました。独占ですと競争がないのでお金が余ります。それが政治資金やマスコミヘの広告費に回り、そのうまみを味わった利権派が、戦争が終わって70年も経とうというのに、「戦時体制」を維持しているのです。
独占のもうひとつの弊害は、コスト意識が低いままになる、ということです。
私は以前、大手鉄鋼メーカーの重役に、話を聞いたことがあります。
実は鉄作りと発電は、非常に似ているのです。鉄を作るには、燃料を大量購入して、それを燃焼させ、鉄鉱石を溶鉱炉で溶かします。値段というのはどこで産出されるかというと、溶かす部分にかかったお金なのです。鉄というのは国際的に、鉄鉱石の値段でスライドします。だから、いかに他社より、コストをかけずに効率的に溶鉱炉で溶かすか、これだけなのです。
電力会社もこれと同じです。燃料を大量購入して、それを燃焼させて発電タービンを回す。
発電所も製鉄所も規模はほとんど同じです。燃料を溶鉱炉で焚くか、発電所で焚くか、という違いだけ。大きな違いは、結果、出てくるのが鉄鋼か電気か、というだけです。
日本の製鉄業というのは、1年で9000万トンから1億トンを生産しています。最近は、その半分が、輸出されています。かつては、他国の鉄鋼メーカーに押されて、大変だった時期もありますが、現在は、完全にそれを克服して国際競争力は格段に高くなりました。
大手鉄鋼メーカーの重役にそのあたりを聞くと、「コストが下がった」というのです。いまから20年前は、いまの倍のコストで鉄を作っていたそうです。当時はそれでも、競争に勝てた。
ところが、インドなど、新興勢力が次々に出てくると、そういうわけにはいきません。鉄鋼は世界中、どこからでも買えますから、「独占」できません。新興勢力に打ち勝たなければ、途端に沈みます。日本の鉄鋼メーカーは、徹底的にコスト削減をし、その結果、コストが当時の半分になった、と。おかげで、国際競争力が回復し、盛り返すことができたというわけです。
製鉄所と発電所は、理屈的にはほとんど同じだと言いました。ということは、鉄鋼メーカーが行なったコスト削減を、電力会社でもできるということです。しかし、それをやったという話を聞きません。なぜかというと、電気は、国際的な競争にさらされないからです。
アメリカあたりから、電気がどんどん入ってきたら、日本の電力会社も、慌ててコスト削減をするでしょう。でも、電気は送電ロスがあります。太平洋を渡ってくる途中で、電気のほとんどはなくなってしまうのです。だから私たちは、日本の電力会社からしか、電気を買うことができないというわけです。TPPに仮に参加したとしても、アメリカから電気が入ってくるということはないのです。
他国の企業が、日本の電力事業に参入すれば別でしょうが、そもそも、日本の中でさえ競争がないのですから、そんなことになるはずがありません。
技術力は十分にあるのです。発電というのは、100%電気に変わるわけではなく、33%電気を作れたらいいほうだと言われています。三菱重工のタービンは50%近い効率を誇ります。
変電に関して言えば、電圧を下げなければならないのですが、日本の鉄鋼メーカーはケイ素鋼という合金を発明しました。これで、世界一効率の良い変電が可能になりました。日本ガイシが作ったセラミック製の絶縁体は、もっとも送電ロスが少ない製品です。
昔から、「経済は一流、政治は三流」という言われ方を日本はしてきましたが、電力会社も同じ構図なのですね。「技術は一流」だけど、電力会社の「経営は三流以下」というわけです。
いくらでも、コストを削減するための技術が身近にあるのに、それを利用しないで、独占ということにあぐらをかいている。日本の電力会社の怠慢I 独占していたゆえにそうつまり、なったのでしょうが――が、日本の電気料金を高いままにしているのです。
このようにして「本当は正しくないけれど、多くの人が発電原理などを理解できないからトリックをかけて正しいことを作り出す」ことができるのがわかります。なぜ、こんな複雑なトリックをかけてまで正しいことを作らなければならないかというと、そのほうが得になる人がいるからです。
人はあることに接したときに、
①自分に利益がもたらされる「利己的正義」に合致するか?
②利己的正義に合致したら、それをヨーロッパ流の論理で利他的正義に転換できるか?
③周囲との調和をはかる「利他的正義」に合致するか?
を考えるのですが、そのためにはその人の頭脳の中に入っているデータそのものが「事実」であるかどうかが問題になります。しかしこれまで見てきたように、世間に流布する情報そのものに「トリック」が多く含まれています。私たちが事実と思っているのは、ほとんど「利己的正義を利他的正義に粉飾したもの」であることを頭に入れておく必要があります。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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