リサイクル背広のスタンドプレー
リサイクルは「使ったものをもう一度使う」という簡単なことなので、専門的な知識がなくてもできます。特に、身の回りのものを丹念にリサイクルして自分で使うことは環境にとても良いことなのでドンドンやることが望ましいのです。しかし、それはリサイクルを社会規模、日本全体で実施するのとは違うので、社会規模で行い、ある程度強制力を伴う場合には、リサイクルが現実的か、環境に良いかについての知識が必要です。
それがこれまで本著で解説をしてきた、材料工学、分離工学、そして毒物循環等です。
一方、より本質的で基本的なことは「専門家が何をしてきたか。本来何をすべきか」ということともいえます。その一例としてLCAにおける主婦労働の評価、焼却をリサイクルに分類することなどです。
次に、より直接的なリサイクルにおける専門家の責任を整理してみたいと思います。
リサイクルの報道でやっかいなものがあります。典型的なものとしては「ペットボトルのリサイクルからこんなに素睛らしい背広ができる」というたぐいの報道です。この種の報道はとても多く、「リサイクルから公園のベンチができた」などもその一例です。
できます。ある意味ではリサイクル材料で何でもできます。ペットボトルもポリエステルという材料でできていますし、比較的若向きの背広や夏の背広にはウールを使用しないでポリエステルを使用したものもあります。ペットボトルは石油からポリエステルという材料を製造し、それを加工してできるものですから、ペットボトルを集めてきれいに洗い、不純物やラベル、フタなどを取りさらに中に何も入っていないのを調べてていねいに回収すればポリエステルという材料に戻りますしかも、ペットボトルはあまり長く使われないものが多いので、材料の傷み方もそれほどでもありません。
しかし、今でも目の前に素晴らしい背広を見せて、「こんなものまでリサイクルできる」というトリックをまだ使っているのはテレビ の報道くらいかもしれません。リサイクルの現場でも初期の頃にはそういうものが多かったのですが、最近ではそのような見せものは何か胡散臭く、あまり人が感心しなくなってきているようです。
長く使わないで捨てられたものは材料がまだ傷んでおりませんから、「労力」を惜しまず「無駄を承知」なら素晴らしいものができます。その代わり、大変な労力と無駄をしますので環境にはかなりの負荷をかけます。背広の例ですと、石油から繊維に使うためのポリエステルを作って、それを背広にするプロセスで環境に与える負荷を基準にすると、ペットボトルをリサイクルしてそれを選別し背広を作ると、その数倍の環境負荷がかかるのです。だから「リサイクルの背広は売れない」のです。
リサイクルでこんなものが作れる、という報道や報告で登場するものはだいたい決まっています代表的なものが道路に敷く煉瓦、公園の杭やベンチ、ビール瓶を入れる箱や雑貨などです。もし、リサイクル社会ができて使用したもののほとんどを再使用する社会になったとします。材料工学の原理から自動車や家電製品、OA機器などに使用した材料は劣化しているので、それらのような本格的な工業用途には使うことができません。したがって、公園のベンチや杭になるのです。
一方、日本の工業材料の大半が、自動車、家電製品、OA機器、家具などに使用されています。
その証拠に、もし鉄鋼メーカーがその製品を自動車会社に売れなくなり、プラスチックメーカーが家電会社に樹脂を売れなくなれば倒産します。ところがそういう大きな会社は、製品が雑貨や公園のベンチなどに使用する材料にならなくなってもびくともしません。当然のことながら雑貨や公園のベンチはマイナーなのです。大量のリサイクル材料が公園を埋め尽くしたら、どうなるのでしょうか?
専門家はリサイクルした材料からどんな製品もできることを知っています。同時にそれはリサイクルの本来の目的である環境を守るということに反することも承知です。さらに材料の用途とその量についての知識がありますから、自動車や家電製品の材料を前述したカスケードリサイクルできないこともわかってはいるのです。同時に、テレビの放映があるときにペットボトルから作られた背広を見せる人や、家電製品のリサイクルから作った公園のベンチをスタジオに持ってくる人も、それらのことを知っている人たちなのです。
確かに、原子爆弾を落としたのはエノラ・ゲイという名のついたアメリカ軍のB29でしたし、そこにはパイロットがいて、その作戦を命じた将軍もいました。しかし、原子爆弾を作ったのは科学者と工学の専門家で、彼らが作らなければ原子爆弾はありません。彼らは常に「それが何に使われるか知らない」という態度ではなく、「それが使われれば社会にどういう影響を与えるか」と考慮して行動するべきなのです。
なぜなら、実際にペットボトルからできた背広や家電製品からできたベンチが放映されれば、専門家以外の人が「もちろん、環境を汚さずにこのような素晴らしいものができるのだ」と信じてしまいがちだからです。むしろ、信じるのが当たり前です。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より
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