これまでの説明である部分は理解したと思いますが、静脈産業では次のハンディがあります。まず、第一に静脈に回ってくるものに毒物が混入してくるということです。何回もリサイクルしているうちに銅などの金属、鉛ガラスからの成分、そしてプラスチックの中に発生する毒物等です。これを検出するにはリサイクルで回ってきた材料をいったん液体にしなければなりません。そして全体を混合し毒物を測定し、さらに毒物を除去する工程をもうける必要があります。静脈産業には浄化系と浄化系を動かすための「浄化産業」が必要とされます。
第二に劣化した材料が多く回ってくることです。天然原料からの場合は鉱山や油田、もしくは精錬工場、精製工場のようなかなり上流の工場で使えないものを除去しますので、動脈の総循環量に対して価値の低いものの循環はかなり抑えられています。
つまり循環量の中に価値の低いものが入ると、最終的な製品が得られるまでに価値の低いものにもエネルギーや物質が注がれるからです。
静脈側ではその本質的特性から価値の低いまま最後の段階まで持っていかれる場合が多いのです。 それは原料の発生箇所が個別の家庭であったり分散しているので、集荷してから最終段階でかなりのものを分別したり判別しなければならないからです。
つまり静脈産業は、「人手がかかる」「汚いものを取り扱わなければならない」等の実学的な難しさの他に、基本的に次のハンディがあることが分かるのです。
第一に毒物の処理のための浄化系が必要であること。
第二に劣化した価値の低いものを大量に扱わなければならないこと。
これらのハンディを克服して静脈産業が成立し、それが日本の国力を上げるまでになるには大きなブレークスルーか日本全体が特別な環境、たとえば統制経済などのシステムが必要とされると考えられます。
日本は何のためにリサイクルをしようとしているのでしょうか?
また何が目的で静脈産業を育てようとしているのでしょうか?
まず第一に、静脈産業を育成することによって日本の産業の国際競争力を上げるのが目的とします。この場合には日本の国内の総循環量が増大し、循環するものの価値が低下しますから効率は全体的に低下することが予想されます。また、二一世紀は「物質の使用量を可能な限り少なくして、同一の付加価値を生むシステム」が求められ、それこそが国際競争力を高めることになります。そのような視点では循環型社会は全くの逆方向であることがわかります。同一の付加価値を得るためにはこれまで以上に多くの物質を扱うことになるからです。物質の取扱量が増え循環量が増えることはトラックの移動距離が増大することであり、道路はさらに混雑し、輸送の軽油が必要となり、物流管理などの膨大なエネルギーを必要とします。現在、世界が向かっている方向はこれとは全く逆の方向なのです。
考え方によっては「無駄なことでもトラックの移動距離が多くなればトラックが売れるし、タイャも売れるから良い」と考えることもできると思います。
しかし、いくら消費するからといって平和なときには価値を生まない軍隊に資金を投じても経済は良くならないのと同様に、再生産に結びつかない経済活動は全体を弱らせ、一方的な消費は本質的に経済を疲弊させます。
第二にそのような効率とか産業とかを考えずに、環境を良くすることだけを考慮するとします。環境を良くするためには物質の使用量を少なくし、物質やエネルギーの使用量を削減しなければなりません。循環量が増大すると物質やエネルギーの消費量は増え、それにともなって廃棄物量も増加します。したがって静脈産業や「循環型社会」は日本経済を悪くするとともに環境の悪化を招くことにもなるのです。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より