本来の「リサイクル」は素朴なものです。そして多くの善意の人たちはリサイクルに素朴に取り組んでいます。その心は「ものを大切にしたい、そうしてかけがえのない地球を守りたい。子孫に迷惑をかけたくない」ということでしょう。その気持ちを素直に表現すれば、「リサイクルとは一度使ったものを、何とかしてもう一度か二度は使いたい。できれば繰り返し……」
ということでしょう。著者もそのように「リサイクル」という言葉を使っています。
しかし、現代社会では「リサイクル」はそのような素朴な使い方はしていません。
著者は廃棄物をリサイクルしないで焼却する方がよいと考えています。それを講演会などで説明すると、「廃棄物を焼却すると二酸化炭素が増えて地球が湿暖化するのではないか、リサイクルをすると焼却が減るからリサイクルを進めているのではないか、その点をどう考えているのか?」という質問を受けることがあります。
そんなとき著者は返答に困ります。
それは二酸化炭素の問題に答えられないのではなく、実はリサイクルを推進する立場の人が「焼却」をリサイクルの中に入れて「サーマル・リサイクル」という名前をつけたからです。「焼却がリサイクル」と普通の人は素朴に驚くでしょう。
とどのつまり、「リサイクルすれば二酸化炭素が増えないが、焼却すれば二酸化炭素が増えると思うがどうか」という質問に対して、「リサイクルは焼却を含むから…」というとますますこんがらがって解答にならないからです。
この問題を、順序立てて整理することにします。
まず最初に、常識があり誠意がある人なら、「焼却」を「リサイクル」とはいわないということです。リサイクルはリサイクル、焼却は焼却といえばそれで簡単に理解でき、計算も紛れがありません。
しかし、焼却をリサイクルの中に入れる「理屈」があります。「廃棄物を単に焼却したのなら焼却に分類するべきであるが、もし、焼却、つまり『たき火』で手を暖めたり、焼き芋を焼いたり、お湯を作ったり、電力を作ったときには、それは『エネルギー』という形で物質を回収したのだからリサイクルといっていい」という理屈です。
確かにアインシュクインは物質の質量とエネルギーの等価関係をE=mc2と表現しました。だから物質とエネルギーは同一だ、というのです。このこと自体は科学的に正しいのですが、もしこのように物質とエネルギーを同一に考えるなら、「リサイクルのときに使用したエネルギー」も「リサイクル率」の中に組み込まなければなりません。
たとえば、一本のペットボトルを回収したとき、「ペットボトルという物質」の回収だけ考えずに、リサイクルに使用したエネルギーをペットボトルの物質に加えて計算する必要が生じてきます。現在は「リサイクル率を計算するときは物質だけ」、「焼却するときはエネルギーをリサイクル率に算入」するという非常にややこしい計算をしているのです。
つまり、ペットボトルのリサイクル率が三〇%だったとします。これは物質だけのリサイクル率です。これを「物質とエネルギー」として合計すると、リサイクルするごとに三・七倍のエネルギーや物質を使いますので、リサイクル率はマイナス八一%になります。
あるときに「ペットボトルのリサイクルは増幅係数が三七〇、つまりリサイクルをすればするほど環境を汚す」と発言したところ、「私もそう思います。だからペットボトルは焼却すること、つまり『サーマル・リサイクル』がよいのです」といわれました。漫才のような会話です。
現在の日本で進められているリサイクルではこのように物質とエネルギーの両方を計算すると、ほとんどのものは「リサイクル率がマイナス」になります。リサイクルをすればするほど物質が消耗し、ゴミが増えていくからです。しかし、「リサイクル率」を計算するときには物質だけを計算し、「焼却する」というときには物質とエネルギーを同質のものとするのは混乱を深めるばかりになるでしょう。
「環境を守る」ということが、これほど不真面目でよいのでしょうか。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より